橋本青雨
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橋本 青雨(はしもと せいう、1878年9月1日 - 1944年8月24日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家、ドイツ語学者。
本名・橋本 忠夫。
人物・来歴
[編集]宮城県出身。1902年小説と俳句を収めた『ほし草』を刊行。
1904年東京帝国大学文学部独文科卒。のち独文学を中心とする翻訳に従事。 イプセン、シラー、ハウプトマンなどの翻訳を「帝国文学」「新小説」「新声」などに掲載し、明治末に最も活躍した。
のち第三高等学校教授、松本高等学校教授、中央大学教授となり研究に従事した[1]。
孫は橋本和孝(関東学院大学名誉教授)[2]。
著書
[編集]- 『ほし草』(橋本忠雄名義、蘆原緑子画、佐藤養治) 1902
- 『詩人ハイネ』(橋本忠夫名義、金港堂) 1903
- 『愛の犠牲』(今古堂) 1906
- 『世界文学史』(博文館、帝国百科全書) 1907
- 『独逸語研修 上巻』(南江堂書店) 1916
- 『和独語彙』(南江堂書店) 1918
- 『橋本獨逸文法讀本 讀章註釋文法練習』(橋本忠夫編、南江堂書店) 1925.2
- 『独逸語の会話と手紙』(橋本忠夫編、郁文堂書店) 1929
- 『独逸語の修辞的構成』(橋本忠夫名義、南江堂書店) 1933
- 『青年獨逸』(橋本忠夫名義、南江堂) 1935.12
編纂
[編集]- 『ユーモア小話集』(編、春陽堂、春陽堂獨逸語叢書 第1卷) 1931.10
- 『悲喜小話集』(編、春陽堂、春陽堂獨逸語叢書 第2卷) 1931.10
- 『精神戰線』(編、春陽堂、春陽堂獨逸語叢書 第4卷) 1931.10
- 『復興途上の獨逸』(編、春陽堂、春陽堂獨逸語叢書 第5卷) 1931.10
- 『閑日閑話集』(編、春陽堂、春陽堂獨逸語叢書 第3卷) 1931.11
- 『民族及文化史問題』(橋本忠夫編、南江堂書店) 1931.12
翻訳
[編集]- 『男女観』(レフ・トルストイ、橋本忠夫名義訳、金港堂) 1905
- 『当世ハイカラ競』(ベネディックス、登張竹風共訳、金港堂) 1905
- 『ゲエテの詩』(橋本忠夫名義訳、新潮社) 1905
- 『独逸童話集』(グリム、大日本国民中学会) 1906
- 『日の出前』(ハウプトマン、南江堂書店、現代獨逸文藝叢書、ハウプトマン傑作集 第1卷) 1913.11、のち岩波文庫(橋本忠夫名義訳)
- 『幽霊』(イプセン、人生社) 1914
- 『ヘルマンとドロテア』(ゲーテ、大村書店、ゲーテ全集2) 1926
- 『基督狂』(ゲルハルト・ハウプトマン、橋本忠夫名義訳、白水社) 1941
- 『獺の外套 喜劇』(ゲルハルト・ハウプトマン、橋本忠夫名義訳、岩波文庫) 1942
- 『魔霊』(ゲルハルト・ハウプトマン、橋本忠夫名義訳、実業之日本社) 1942
- 『戀人のむら氣 他五篇』(ゲーテ、大東出版社、ゲーテ全集6) 1943
- 『シラーの対話 詩人を繞ぐる同時人の記録』(ペーターゼン編、訳編、教材社) 1944