橋本昂蔵
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橋本 昂蔵(昻蔵、はしもと こうぞう、1898年(明治21年)4月10日 - 1970年(昭和45年)3月29日)は、日本の大蔵官僚、陸軍司政官[1]、実業家。
概要
[編集]鳥取県出身。第一高等学校[1]、東京帝国大学法学部政治学科卒業。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科に合格し[1]、1922年、大蔵省に入省(主計局属)。戦時中にはシンガポールへの赴任や南方軍、昭南軍で部長職なども務めた。戦後、公職追放された[1]。退官後は理研鍛造会社で社長や会長などを務めた。
官歴
[編集]- 1922年:大蔵省入省。主計局属
- 1927年7月:亀戸税務署長
- 1328年7月:神田税務署長
- 1929年8月:大蔵省銀行局検査課検査官
- 1937年5月:営繕管財局書記官。営繕管財局総務部国有財産課長
- 1940年8月:札幌税務監督局長
- 1941年7月:札幌財務局長
- 1941年12月:熊本財務局長
- 1942年10月:南方軍軍政総監部付
- 1942年11月:南方軍敵産管理部長
- 1944年4月:昭南軍軍政監部付兼軍政監部敵産管理部長
- 1944年7月:陸軍省軍務局付
- 1944年8月:大蔵省調査官。大臣官房
- 1944年9月:退官
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。