橋本博光
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橋本 博光 | |
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生誕 |
1894年4月23日 日本 福岡県 |
死没 | 1968年12月25日(74歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1915年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
橋本 博光(はしもと ひろみつ、1894年(明治27年)4月23日[1] - 1968年(昭和43年)12月25日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴
[編集]1894年(明治27年)に福岡県で生まれた[1]。陸軍士官学校第27期卒業[1]。1939年(昭和14年)3月9日に野砲兵第26連隊長(第1軍・第20師団)に就任して日中戦争に出動し[1][2]、8月1日に陸軍砲兵大佐に進級した[2]。1940年(昭和15年)8月に第1砲兵司令部高級部員に転じ[2]、1941年(昭和16年)4月に陸軍野戦砲兵学校教官を経て[2]、1942年(昭和17年)5月に陸軍野戦砲兵学校研究部主事に就任した[2]。
1943年(昭和18年)8月2日に陸軍少将進級と同時に陸軍野戦砲兵学校附となり[2]、1944年(昭和19年)8月2日に陸軍野戦砲兵学校長に就任[1]。終戦後の1945年(昭和20年)10月9日に予備役に編入された[2]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。