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樫木駄場古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
樫木駄場古墳 / 樫木駄馬古墳

墳丘・石室開口部
所属 坂戸古墳群
所在地 愛媛県西予市宇和町坂戸樫木駄馬1422
位置 北緯33度23分32.72秒 東経132度30分56.75秒 / 北緯33.3924222度 東経132.5157639度 / 33.3924222; 132.5157639座標: 北緯33度23分32.72秒 東経132度30分56.75秒 / 北緯33.3924222度 東経132.5157639度 / 33.3924222; 132.5157639
形状 円墳
規模 直径11.9m
高さ4.5m
埋葬施設 両袖式横穴式石室
築造時期 7世紀前半
史跡 西予市指定史跡「樫木駄場古墳」
地図
樫木駄場 古墳の位置(愛媛県内)
樫木駄場 古墳
樫木駄場
古墳
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樫木駄場古墳[1] / 樫木駄馬古墳[2](かたぎだばこふん)は、愛媛県西予市宇和町坂戸にある古墳。形状は円墳。坂戸古墳群を構成する古墳の1つ。西予市指定史跡に指定されている。

概要

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愛媛県南西部、宇和盆地西側丘陵の尾根斜面平坦地(駄場)に築造された古墳である。付近の谷間には多数の古墳が分布し、明治初期には約70基が存在したというが、現在では本古墳以外の大半が消滅している。

墳形は円形で、直径11.9メートル・高さ4.5メートルを測る[2]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南西方向に開口する[2]。石室は完存しており、宇和盆地では最大規模になるとして重要視される。築造時期は古墳時代終末期7世紀前半頃と推定される[3]

古墳域は1974年(昭和49年)に旧宇和町指定史跡(現在は西予市指定史跡)に指定されている[1]

埋葬施設

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石室 玄室

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南西方向に開口する。石室の規模は次の通り[2]

  • 石室全長:7.5メートル
  • 玄室:長さ3.6メートル、幅1.5メートル、高さ1.4メートル
  • 羨道:長さ3メートル、幅1.5メートル、高さ0.8メートル

奥壁には一枚石が使用される。天井石は玄室で2石、羨道で2石。玄門には玄門柱石を伴う。

石室の形態は宇摩向山古墳1号石室(四国中央市)・朝倉古墳高知県高知市)との類似が指摘される[3]

文化財

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西予市指定文化財

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  • 史跡
    • 樫木駄場古墳 - 1974年(昭和49年)12月9日指定[1]

脚注

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  1. ^ a b c 市指定 樫木駄場古墳(西予市ホームページ)。
  2. ^ a b c d 史跡説明板。
  3. ^ a b えひめの古墳探訪 2017.

参考文献

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  • 史跡説明板(宇和町教育委員会設置)
  • 愛媛県歴史文化博物館 編『えひめの古墳探訪(平成28年度特別展図録)』伊予鉄総合企画、2017年。 

外部リンク

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