横松宗
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横松 宗(よこまつ たかし、1913年(大正2年)7月19日[1] - 2005年10月15日)は、日本の近代中国思想研究者・教育学者。元八幡大学(現九州国際大学)学長。大分県中津市生まれ[1]。魯迅、同郷の福沢諭吉研究の第一人者[2]。
略歴
[編集]- 1931年(昭和6年) - 旧制大分県立中津中学校卒業[1]。
- 1935年(昭和10年) - 広島高等師範学校卒業[1]。
- 1935年(昭和10年) - 埼玉青年師範学校講師[1]。
- 1939年(昭和14年) - 中支那振興株式会社社員として中国へ赴任[1]、駐在員として農村政策・管理の仕事に就く。
- 1946年(昭和21年) - 帰国。
- 1956年(昭和31年) - 九州大学大学院修了[1]。
- 1956年(昭和31年) - 八幡大学講師[1]。その後法経学部長、教授を歴任。
- 1958年(昭和33年) - ロンドン大学留学[1]。
- 1975年(昭和50年) - 八幡大学学長2期。その後社会文化研究所所長を歴任。
学外の役職として、中津市教育委員長、北九州市家庭教育調査委員長、福岡市中国研究センター理事長、福沢諭吉協会会長、九州大学講師、ケンジントン大学(日本校)客員教授等を務めた。
横松は研究対象である福沢諭吉と魯迅に「近代国家主義思想」と「近代的科学精神」という2つの共通の自己確認があると述べている。これは魯迅が東京に留学した経験等から、ある意味魯迅が福沢に影響され啓発された現れとも論じている。
著書
[編集]- 新支那の建設工作(育英出版、 1944年)
- 現代教育学入門(八幡大学法経学会刊行、明治図書、1967年)
- 魯迅の思想 民族の教師(河出書房新社、1973年)
- 魯迅の思想 民族の怨念(河出書房新社、1973年)
- 戦後民主主義と教育(明治図書、1973年)
- 大正から昭和へ―恐慌と戦争の中を生きて(河出書房新社、1989年)
- 福沢諭吉 中津からの出発(朝日新聞社、1991年)
- その発想のパラドックス 福沢諭吉(梓書院、2004年)
訳書
[編集]論文
[編集]脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 郷土の歴史 中津ゆかりの人 中津市立図書館