横山隆従
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横山 隆従 (よこやま たかより、宝暦8年4月1日(1758年5月7日) - 寛政4年7月18日(1792年9月4日)) は、加賀藩年寄。加賀八家横山家第9代当主[1]。
父は加賀藩年寄横山隆達。子は横山隆盛。通称は義四郎、求馬、大膳、山城。官位は従五位下・山城守。
生涯
[編集]宝暦8年(1758年)4月1日、加賀藩年寄横山隆達の子として生まれる。安永5年(1776年)、隆達の死去により家督相続する。天明6年(1786年)、藩主前田治脩より学校創設の命を受け、寛政3年(1791年)9月、学校方御用主附(学校惣奉行)に任命されて建設に着手し、翌寛政4年(1792年)3月、藩校明倫堂を設立する。同年7月18日没。享年35。墓所は石川県金沢市野田山墓地。家督は嫡男の隆盛が相続した。
脚注
[編集]- ^ 「加賀八家「殿様」たちの末裔 藩主支えた絆 旧男爵家の誇りは今も」『月刊北国アクタス』2014年8月号
参考文献
[編集]- 「加能郷土辞彙」