横山政孝
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横山 政孝(よこやま まさたか、寛政元年(1789年) - 天保7年1月25日(1836年3月12日)) は、加賀藩家老。人持組横山蔵人家の第6代であり、父は横山政寛といった。正室は津田政本の娘・桂(横山蘭蝶)。子は横山政和。通称は小五郎、多門[1]、蔵人[1]。別名に孝誼[2]、号は致堂[8]を名乗った。
生涯
[編集]寛政元年(1789年)、加賀藩家老横山政寛の子として生まれる。享和元年(1801年)、父の死去により家督相続する。文化13年(1816年)、家老となる。世子・前田斉泰の傳役を務めた。
天保7年1月25日(1836年3月12日)、死去。享年48。
人物
[編集]詩作や書画に秀でた文化人であった。詩集に『致堂詩藁』『致堂詩藁外編』。正室の桂(旧姓津田、横山蘭蝶)も詩人として知られ、文化12年(1815年)、死産の末に死去すると、桂の詩100首に政孝作の詩100首を合わせて『海棠園合集』を私家版として著した(海棠園蔵版[9])。政孝の没後70年を経て再版している[10]。
主な著作
[編集]発行年順、横山孝誼夫[1]名義。初稿は文政8年、第2稿は天保4年に刊行。
- 『致堂詩藁』16巻 [写]、2冊、マイクロフィッシュ(文政8年-天保4年 [1825-1833])
- 『致堂詩稾』8巻、二稾8巻、4冊、マイクロフィッシュ(西村宗七、文政8年-天保4年 [1825-1833])
- 横山孝誼夫 著『致堂詩稾』16巻、10冊、マイクロフィッシュ(文政8年-天保4年 [1825-1833])
- 『断香集』・『続香集』を収載。
横山致堂名義。
- 横山 蘭蝶、横山致堂(孝誼夫[1]文化12年 [1815]。 NCID BA42895047。1冊、24cm。先立った妻・桂の作品を編み、自作を添えた。金沢大学図書館の書誌情報より、原本の出版事項: 洛南 : [出版者不明]。
- 横山致堂(孝誼夫[1]『海棠園合集』宇都宮源平、金沢、明治39年(1906年)1月)。doi:10.11501/893446 。2冊(1巻15, 2巻14丁)、マイクロフィッシュ。
- 『海棠園合集』 : 全(金沢:宇都宮源平、1906.1)NCID BA3417900X。
- 『海棠園蔵版』文化12(1815年)鐫の私家本を後刷。
- 『致堂二稾』宇都宮源平 編。マイクロフィッシュ(宇都宮書店、敬文館販売[11]、明治39年)それぞれの巻はログインなしで閲覧可能。
出典
[編集]- ^ a b c d e 〈類聚伝記大日本史〉 1981, 第9巻
- ^ 『致堂二稾』 1906a, 「元素巻第加賀横山孝誼」6コマ目(0006.jp2)
- ^ 『致堂二稾』 1906a, 1コマ目(0001.jp2)
- ^ 『致堂二稾』 1906a, 6コマ目(0006.jp2)
- ^ 『致堂二稾』 1906a, 25コマ目(0025.jp2)
- ^ 『致堂二稾』 1906a, 45コマ目(0045.jp2)
- ^ 『致堂二稾』 1906a, 67コマ目(0067.jp2)
- ^ 表紙[3]、「自序」癸巳晩春下澣撰淤荏土邸中致堂橫山孝[4]、元日試筆以下丙成作(致堂二〓巻第二、第二 峰雪吟窩蔵)[5]、臣北莊誠謹枝(致堂二〓巻第)[6]、著者故横山致堂 石川県金沢市片町五十六番地[7]。
- ^ 『海棠園合集』 1815
- ^ 『海棠園合集』 1906
- ^ 『致堂二稾』 1906a, コマ番号67
参考文献
[編集]- 久松潜一 解説 編「人物名:横山致堂」『文人篇』 第9巻、辻善之助ほか 監修、雄山閣出版〈類聚伝記大日本史〉、1981年9月。doi:10.11501/12206263。ISBN 4-639-00093-6 。「別名:政孝、誼夫、多門、圖書、藏人」1935年(昭和10年)刊の複製。収録対象者・人数:1,315人(掲載箇所:pp.17-492)、索引あり。
関連資料
[編集]- 日置謙 編『加能郷土辞彙』金沢文化協会、昭和17年。doi:10.11501/1123720 。2024年8月1日閲覧。