横山常隆
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横山 常隆(よこやま つねたか、? - 慶長13年(1608年))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。前田氏の家臣。加賀八家横山家初代・横山長隆の4男、同第2代・横山長知の弟。
生涯
[編集]初名は六郎、通称は左兵衛。加賀八家の一つで金沢城代などを務めた[1]横山家の一族のうち常隆流の祖。越中守山で前田利長に仕え、初め300石、後に加増され2800石を知行。慶長13年(1608年)に前田家中の浅岡堅物の乱心により斬りかかられ深手の傷を負い、同年に病死[2]。嫡子・長茂が2000石、次男・長泰が800石を相続。
系譜
[編集]- 父:横山長隆(通称 半喜)
- 母:杉弥左衛門娘[2]
- 正室:岩田市右衛門娘
- 男子:横山長茂(通称 左近)
- 男子:横山長泰 (通称 三左衞門)
- 男子:横山九十郎(早世)
- 女子:氏名不詳。兄・長泰の養子となり、婿養子を迎えて長泰流を継ぐ。
脚注
[編集]出典
[編集]- 金沢市立玉川図書館近世資料館所蔵の加越能文庫より、横山政賢(1765-1809)の編さんによる横山氏の惣系図「横山氏系図」