横山寿篤
表示
横山 寿篤(よこやま ひさあつ、1886年(明治19年) - 1973年(昭和48年)[1])は、日本の編集者・作家。出版社キンノツノ社社長を務めた。妻は横山美智子。作家名「横山銀吉[2]」としても活動。
来歴
[編集]1918年(大正7年)、鈴木三重吉が児童雑誌『赤い鳥』を創刊したのに触発され、斎藤佐次郎を誘う形で、1919年(大正8年)11月、児童雑誌『金の船』を創刊、編集は斎藤、発行を横山が担当した[4][5]。しかし横山と斎藤の意見の相違から、1922年(大正11年)に斎藤は横山と決別して誌名を『金の星』に改称した[5][6]。一方、横山は『金の船』を発行し続けたが、後に資文堂書店からの発行となった[7]。
横山と斎藤と知り合ったのは、両夫人が大磯の銭湯で出会ったことがきっかけだったと斎藤自身が回想している[8]。
横山は一時期「大磯椿森に引っ込んで」いたと言及しており[9]、1925年(大正14年)から1929年(昭和4年)まで大磯小学校の学校文集「磯の光[10]」に童話を連載している。
1973年(昭和48年)死去。
親族
[編集]長女は実践女子大学名誉教授の山脇百合子[要出典][11]、三女はバレリーナの横山はるひ[12]。
脚注
[編集]- ^ 『日本児童文学大事典 第2巻』大日本図書株式会社、1993年。
- ^ 『『少年倶楽部』熱血・痛快・時代短篇選』講談社文芸文庫、Jan 2015。
- ^ “文学記念室で横山美智子特別展”. 尾道ニュース2002(山陽日日新聞からの転載) (2002年9月13日). 2022年3月10日閲覧。
- ^ “100年カンパニーの知恵 金の星社/中 震災、戦争くぐり抜け”. 毎日新聞. (2019年11月4日) 2022年3月11日閲覧。
- ^ a b 伊藤小穂. “『金の船』にみる大正期児童雑誌の読者像” (PDF). 筑波大学情報学群 知識情報・図書館学類 2013年度卒業論文. 2022年3月11日閲覧。
- ^ 『金の船』(第1巻第1号) 島崎藤村ほか:監修 岡本帰一:表紙 大正8年11月 キンノツノ社(東京) - 大阪府立国際児童文学館(日本の子どもの本~珠玉の30選~ 展示資料『金の船』、2018年5月9日)
- ^ 函館児童雑誌コレクション及び北海道児童雑誌データベース 平成19年度収録作品概要 (PDF) - 北海道立文学館
- ^ 『夢をつむぐ-大衆児童文学のパイオニア』光村図書、1986年、50頁。
- ^ 『近代作家追悼文集成15』ゆまに書房、1987年。
- ^ 『磯の光』大磯尋常高等小学校、Jan 1927。
- ^ “ギャスケル論集 第 29 号 山脇百合子先生 追悼号 2019 日本ギャスケル協会”. 2024年2月20日閲覧。
- ^ 『バレエ入門』東峰書房、1951年。
関連書籍
[編集]- 小林弘忠『『金の船』ものがたり』毎日新聞社、2002年