横倉義武
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横倉義武 | |
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生誕 |
1944年8月9日(80歳) 福岡県 |
研究分野 |
外科学 循環器学 |
研究機関 | 久留米大学大学院 |
出身校 |
久留米大学医学部 久留米大学大学院 ミュンスター大学 |
主な受賞歴 | 旭日大綬章(2021年) |
プロジェクト:人物伝 |
横倉 義武(よこくら よしたけ、Yoshitake YOKOKURA、1944年8月9日[1] - )は、日本の医師、医学者。学位は医学博士(久留米大学大学院・1977年)。日本医師会名誉会長。
第19代日本医師会会長、日本医師連盟委員長、第68代世界医師会会長、古賀誠自由民主党衆議院議員後援会長[2]、日本会議代表委員[3]などを歴任。
略歴
[編集]伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
- 1944年(昭和19年) - 福岡県生まれ[4]
- 1963年(昭和38年) 3月 - 福岡県立修猷館高等学校卒業[5]
- 1969年(昭和44年) 3月 - 久留米大学医学部卒業[4]
- 4月 - 久留米大医学部第2外科に入局[4]
- 1977年(昭和52年) 8月 - 久留米大学大学院 医学博士取得
- 10月 - ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学(通称ミュンスター大学)教育病院デトモルト病院外科に留学(1979年10月まで)[4]
- 1980年(昭和55年) 1月 - 久留米大学医学部講師(1983年3月まで)[4]
- 1983年(昭和58年) - 医療法人弘恵会ヨコクラ病院勤務[6]
- 1988年(昭和63年) 4月 - 大牟田医師会監事(2002年3月まで)[4]
- 1990年(平成 2年) 4月 - 医療法人弘恵会ヨコクラ病院・院長[4]
- 1990年(平成 2年) 4月 - 福岡県医師会理事(1998年3月まで)[4]
- 1992年(平成 4年) 4月 - 大牟田医師会理事(2004年3月まで)[4]
- 1997年(平成 9年) 4月 - 医療法人弘恵会ヨコクラ病院・理事長(〜現在)[6][4]
- 1998年(平成10年) 4月 - 福岡県医師会専務理事(2002年3月まで)[4]
- 1999年(平成11年) 5月 - 中央社会保険医療協議会委員(2002年4月まで)[4]
- 2002年(平成14年) 4月 - 福岡県医師会副会長(2006年3月まで)[4]
- 2006年(平成18年) 5月 - 福岡県医師会会長(2010年3月まで)[4]
- 2010年(平成22年) 4月 - 日本医師会副会長(2012年3月まで)[4]
- 2012年(平成24年) 4月 - 第19代日本医師会会長[4]
- 2017年(平成29年)10月 - 第68代世界医師会会長[7]
- 同年 - アジア大洋州医師会連合(CMAAO)会長[6]
- 2020年(令和 2年) 6月 - 日本医師会会長選挙で中川俊男に敗れ、落選[8]
- 8月 - 日本医師会名誉会長[9]
- 2021年(令和 3年) 4月 - 春の叙勲で旭日大綬章受章[10][11]
政界との関わり
[編集]所属学会
[編集]脚注
[編集]- ^ 日本医師会・横倉義武会長の就任祝賀会 九経連・松尾会長ら 地元経済界や医療界など300人が出席 - ふくおか経済web、2012年11月27日
- ^ 日本医師会会長に横倉義武氏
- ^ a b “役員名簿(平成26年8月1日現在)”. 日本会議. 2014年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 「日医ニュース」2016年7月20日
- ^ 東京修猷会 第591回二木会(2013年3月14日(木))
- ^ a b c 「平成の歴代会長」『日本医師会 平成三十年の歩み』(PDF)公益社団法人 日本医師会、2020年3月1日、299頁 。2022年1月24日閲覧。
- ^ 世界医師会 会長に横倉・日本医師会長が就任
- ^ 日本医師会8年ぶり“政権交代” 敗れた横倉氏は投票2日前、首相官邸を訪れていた 毎日新聞 2020年6月28日
- ^ 日本医師会「名誉会長」称号授与について令和2年(2020年)8月20日(木) / 「日医君」だより / プレスリリース
- ^ 令和3年春の叙勲受章者名簿(大綬章受章者) - 内閣府
- ^ 『官報』号外第99号、令和3年4月30日
- ^ 日本医師会会長に親友・横倉氏
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 社会医療法人 弘恵会 ヨコクラ病院 公式サイト