横井俊之
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横井 俊之 | |
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生誕 |
1897年(明治30年)3月11日 日本、愛知県 |
死没 | 1969年(昭和44年)12月23日 |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1919年 - 1945年 |
最終階級 | 海軍少将 |
横井 俊之(よこい としゆき、1897年(明治30年)3月11日 - 1969年(昭和44年)12月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。
経歴
[編集]愛知県出身。陸軍軍医監・横井俊蔵の三男として生まれる。愛知一中を経て、1918年11月、海軍兵学校(46期)を卒業し、翌年8月、海軍少尉任官。1922年12月、霞ヶ浦海軍航空隊航空術学生を卒業。1924年12月、霞ヶ浦航空隊分隊長となり、横須賀海軍航空隊付、「加古」「能登呂」の各乗組などを経て、1930年11月、海軍大学校(甲種28期)を卒業した。
以後、第2艦隊参謀、横須賀航空隊教官、同飛行隊長、連合艦隊参謀などを歴任し、1935年11月、海軍航空本部教育部員に就任。第3艦隊参謀、支那方面艦隊参謀、第1航空戦隊参謀、横須賀航空隊飛行長、海大教官、第十四航空隊司令などを歴任し、1940年11月、海軍大佐に進級。
太平洋戦争を横浜海軍航空隊司令として迎えた。その後、横須賀航空隊副長、「飛鷹」艦長、呉鎮守府付、第25航空戦隊司令官、第5航空艦隊参謀長などを経て、1945年5月、海軍少将に進級。同年10月、予備役に編入された。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。