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学校法人樟蔭学園

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樟蔭学園から転送)
学校法人樟蔭学園
創立者 森平蔵(初代理事長
団体種類 学校法人
設立 1951年3月
所在地 大阪府東大阪市菱屋西4丁目2番26号
法人番号 5122005000041 ウィキデータを編集
起源 財団法人樟蔭学園
主要人物 森眞太郎(理事長)
中野貞一郎理事
森田洋司常任理事
活動内容 学校の設置、運営
収入 93億3727万2630円[1]
2007年4月1日2008年3月31日
基本財産 154億8014万378円[2]
(2008年3月31日)
従業員数 840名[3](2008年3月1日
ウェブサイト 学校法人 樟蔭学園
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学校法人樟蔭学園(がっこうほうじんしょういんがくえん)は、日本学校法人である。大阪樟蔭女子大学大阪樟蔭女子大学短期大学部樟蔭中学校・高等学校、大阪樟蔭女子大学附属幼稚園の設置者である。

詳細

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高等女学校が狭き門になっている状況を打開するため、創立者(森平蔵)が私財を投じて私立樟蔭高等女学校を1917年に設立した。建学の精神は、「充実した設備、秀れた指導者、良好な教育環境を整えて、現代社会の進歩に対応し得る高い知性と豊かな情操とを兼ね備えた、女性としての円満な人格を形成させる。」であり、「近代的で洗練された女性の育成」をめざしている。

校名は楠木正成(楠公)ゆかりの地であることから「しょういん」とし、校章も「菊水」があしらわれている。

校章は、学園、幼稚園、中学校、高等学校で使用される「菊水」と「樟」の文字を組み合わせたものと、大学(大学院)、短期大学部の「菊水」と「大学」の文字(旧字体)を組み合わせたものがある。平成20年度からは、樟の葉をモチーフとしたコミュニケーションマークと「はばたけ、知性。」というタグラインが新たに設けられた。

なお近隣にあった樟蔭東学園(2015年10月にアナン学園に改称)は、中学校・高校の制服が類似している。樟蔭東学園は歴史的には、樟蔭学園の初代校長を務めた伊賀駒吉郎が設立したという経緯があり、1950年代中頃までは人的交流もあったが、1960年に樟蔭学園創設者の森平蔵が死去してからは疎遠になり、現在では経営上・人事上の特別な関係はない[4][5]

創立者

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森平蔵(1875 - 1960)は一代で財を成した実業家で大阪府の高額納税者[6]兵庫県神東郡瀬加村(現・神崎郡市川町)の藤原木市の二男に生まれ、9歳で森周兵衞の絶家を継いで森姓となる[6]。16歳で大阪の材木商の見習い奉公人となり、26歳で独立開業し、木材商の傍ら40歳で森平汽船会社を興し、第一次世界大戦による海運業の好況に乗り、巨万の富を築く[7]。女学校の設立のほか、大阪電気軌道はじめ多くの企業の重役を務めた[6]。57歳のときに建てた東大阪市の自邸は登録有形文化財樟徳館として保存されている[7]。奉公先だった材木商の主人・浅田荷造の娘を妻とし、一女を儲けたが夭折したため、小田川全之の三男・重雄を養子とした[6][8]。重雄の妻は大谷光演の娘、伯爵大谷光暢の姉[9]

設置している諸学校

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大学

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高等学校

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中学校

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幼稚園

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  • 大阪樟蔭女子大学附属幼稚園

歴代理事長

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氏名 在任期間 主要な経歴
理事長(財団法人樟蔭高等女学校)
1 森平蔵 1919年 - 1949年 森平汽船社長
大阪鉄道社長
理事長(財団法人樟蔭学園)
1 森平蔵 1949年 - 1951年 森平汽船社長
大阪鉄道社長
理事長(学校法人樟蔭学園)
1 森平蔵 1951年 - 1960年 森平汽船社長
大阪鉄道社長
2 森重雄 1960年 - 1961年 樟蔭学園評議員
3 森彰朗 1961年 - 1999年 樟蔭学園評議員
4 森眞太郎 1999年 - (現職) 樟蔭学園理事

保有登録文化財

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  • 樟徳館(昭和11~14年築、平成12年 登録有形文化財 )
  • 記念館(昭和2年築、平成12年 登録有形文化財 )
  • 樟古館(大正7年築、平成19年 登録有形文化財 )

脚注

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  1. ^ 資金収支計算書』。
  2. ^ 財産目録』。
  3. ^ 樟蔭学園『平成19年度事業報告書』3頁。
  4. ^ 『樟蔭中学校・高等学校 校長ダイアリー』 2009年11月30日
  5. ^ 本学と樟蔭東学園は全く別の学校です
  6. ^ a b c d 森平蔵『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  7. ^ a b 樟蔭学園創立者、森平蔵とは
  8. ^ 森平蔵氏『日本国勢大観 下巻(人物篇)』やまと新聞社、1930
  9. ^ 森平蔵『工業人名大辭典』滿蒙資料協會出版部 1939

公式サイト

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