榊順次郎
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榊 順次郎(さかき じゅんじろう、1859年7月12日(安政6年6月13日[1]) - 1939年11月16日)は、日本の産婦人科医。
沼津藩蘭方医・榊令輔の次男。兄は榊俶、弟は榊保三郎。1883年東京大学(のち東京帝国大学)医学部別科卒業、ドイツに留学、産科婦人科を研究し、帰国後医学博士。榊産婦人科病院を設立、日本産婆看護学校を設立し校長となる。墓所は染井霊園(1イ-5-5)。妻は陸軍獣医監・桑島景連の娘みの子、息子に医師の榊邦彦、女婿・養子に榊忠三がいる。
1892年に、脚気の原因を白米中に含まれる毒素に求めた。
著書
[編集]- 『脚気病ト米穀トノ原因上関係』英蘭堂 1892
- 『本邦産婦ニ適当シタル産科鉗子及挽出法』島村利助 1892
- 『有毒米ノ研究』丸善 1902
翻訳
[編集]- クレーデ, ヴィンケル『産婆学』編訳 樫村清徳 閲 私家版、1888-1889
- クレデー, レヲポルド『産婆学 増益刪定』編訳 私家版、1897
- マックス・ルンケ『産科精義』私家版、1898
- ツワイフェル, レヲポルド『産婆学 増益刪定』編訳 私家版、1910、1911
脚注
[編集]- ^ 榊順次郞 (初版 明治36(1903)年4月の情報) - 人事興信録データベース
参考
[編集]- 半澤周三『光芒の序曲 榊保三郎と九大フィル』葦書房