極真大山空手
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極真大山空手 極真会大山道場(きょくしんおおやまからて きょくしんかいおおやまどうじょう)は、大山倍達によって開設された極真会館・関西本部(当時)を一旦解散し、後援者の協力により再生させた空手道場。
設立趣旨
[編集]1994年(平成6年)4月に極真会館創始者・大山倍達が逝去された後の分裂騒動の中で、大山総裁が作り上げた極真空手を何とか原形のままで残そうと、大山家の長女である大山留壹琴(おおやまるいこ)[1]が、1995年(平成7年)9月に設立。
概要
[編集]1994年4月26日、父大山倍達が死去した夜から「乗っ取り」が起きた(→極真会館#分裂騒動)。
その後、本部道場には「乗っ取り派」におくりこまれた松井章圭が、遺族による再三の立ち退き要求等も無視して居座り、空手の指導内容を自分の形に変更した。
その結果、大山倍達の空手を正確に伝える道場がないという事態となった。
大山留壹琴らは考えた末に意を決して、大阪の地に大山倍達の空手を伝える道場を開いた。
この「キョクシン大山カラテ」の由来は、1978年(昭和53年)10月4日、大阪市福島区福島1丁目に極真会館関西本部(本部直轄大阪道場)が近畿地区唯一の極真会館の道場として、また、大山倍達の国内2つ目の道場(1つ目は東京池袋の本部道場)として開設されて以来、道場ポスターその他のキャッチフレーズとして使ってきたもの(雑誌『キョクシン大山カラテ』創刊号より抜粋)。
運営・指導
[編集]- 館長・大山留壹琴(故人)
- 師範・津浦伸彦
- 師範代・中山譲治