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楠木正理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
楠木正理
時代 室町時代
生誕 応永12年(1405年[注釈 1]
死没 文安4年12月(1448年1月もしくは2月)[1]
改名 二郎(幼名)、正理[1]
主君 楠木正顕楠木正重北畠教具
氏族 楠木氏
父母 父:楠木正顕[1]
兄弟 正重正理正威[1]
菅生氏[1]
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楠木 正理(くすのき まさみち)は、室町時代北畠家および後南朝の武将。楠木正成の直系の子孫で、父は伊勢楠木氏初代当主楠木正顕

生涯

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応永12年(1405年[注釈 1]伊勢楠木氏初代当主楠木正顕の次男として生誕、兄の正重の同母弟、幼名は二郎(『全休庵楠系図』[1])。

娘がいたが別家し、菅生氏と号した(『全休庵楠系図』[1])。

兄の正重は桑名の刀工村正の弟子となり、弟の正威嘉吉3年9月25日1443年10月18日)、禁闕の変で討死(『全休庵楠系図』[1])。

弟と同じく後南朝の再興運動に参加。文安4年12月(1448年1月もしくは2月)、紀伊国北山八幡で討死(→護聖院宮#その後)、享年は数え43歳(『全休庵楠系図』[1])。

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 享年から逆算。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 藤田 1938, pp. 31–37.

参考文献

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関連項目

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