楠木正理
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時代 | 室町時代 |
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生誕 | 応永12年(1405年)[注釈 1] |
死没 | 文安4年12月(1448年1月もしくは2月)[1] |
改名 | 二郎(幼名)、正理[1] |
主君 | 楠木正顕→楠木正重(北畠教具) |
氏族 | 楠木氏 |
父母 | 父:楠木正顕[1] |
兄弟 | 正重、正理、正威[1] |
子 | 菅生氏室[1] |
楠木 正理(くすのき まさみち)は、室町時代の北畠家および後南朝の武将。楠木正成の直系の子孫で、父は伊勢楠木氏初代当主楠木正顕。
生涯
[編集]応永12年(1405年)[注釈 1]、伊勢楠木氏初代当主楠木正顕の次男として生誕、兄の正重の同母弟、幼名は二郎(『全休庵楠系図』[1])。
娘がいたが別家し、菅生氏と号した(『全休庵楠系図』[1])。
兄の正重は桑名の刀工村正の弟子となり、弟の正威は嘉吉3年9月25日(1443年10月18日)、禁闕の変で討死(『全休庵楠系図』[1])。
弟と同じく後南朝の再興運動に参加。文安4年12月(1448年1月もしくは2月)、紀伊国北山八幡で討死(→護聖院宮#その後)、享年は数え43歳(『全休庵楠系図』[1])。