楊金秀
Yang Kyin Hsiu 楊金秀 | |
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生誕 |
1927年6月24日 イギリス領ビルマ シャン連合州コーカン |
死没 |
2017年7月13日(90歳没) ミャンマー シャン州ムセ |
国籍 | コーカン族 |
職業 | コーカン人民防衛隊指導者 |
楊金秀(よう きんしゅう、拼音: Yáng Jīnxiù、1927年6月24日 - 2017年7月13日)は、ミャンマー・コーカンの軍閥リーダーのひとりである。同地の伝統的首長である楊振材の妹であり、オリーブ・ヤン(Olive Yang)の名前でも知られる。
生涯
[編集]生い立ち
[編集]1927年6月24日、イギリス領ビルマ・シャン連合州コーカンの炸地林で、10人きょうだいのひとりとして誕生する[1][2][3]。父親はコーカン土司の楊文炳、母親は雲南省臨滄市鎮康県の名望家一族の子女であった[2]。子供の頃から個性が強く、勝ち気であった[4]。親族の話によれば、金秀は幼少期から伝統的なジェンダー規範に抵抗をしめしており、纏足を拒否し、男装を好んだ[2][4]。4歳のときから銃を扱うことを覚え[3]、学校に銃を携帯していったこともあったという[4]。ラーショーの守護天使女子修道院付属学校(英語: Guardian Angel's Convent School)で教育を受けた[1]。
コーカン支配者として
[編集]1942年3月、日本軍のコーカン侵攻にともない、文炳はコーカン自衛隊(中国語: 果敢自卫队)を設立した。しかし、1ヶ月あまりの苦戦ののち、自衛隊は雲南省保山への撤退を余儀なくされ、楊一族はインドに退避した。中国遠征軍が第2次遠征を経て勝利をおさめたのち、イギリスにより楊一族はコーカン支配者の地位を取り戻した。1945年から1959年までの14年間は、金秀の兄である振材が政務をとりおこなった。金秀は、このころより父兄の寵愛を頼りとして、政治にかかわりはじめた[5]。
1940年代から50年代にかけて、金秀はコーカンで学校を運営し、若年者を無料で通わせたほか、中華民国国軍の将官を招聘し、軍事教育班を設立した。のちに「果敢王」として知られるようになる彭家声、麻薬王(中国語: 毒枭)の羅星漢、コーカン第1特区事務総長の劉国璽らはこの学校の学生であった[3]。
1950年代から60年代中葉にかけて、金秀はコーカン人民防衛隊(Kokang Kakweye)の司令官であった。金秀はアヘンおよび金密輸の重要人物であった[6]。ビルマ政府はコーカンに流入してきた中華民国国軍残党(泰緬孤軍)を排除するため、金秀と手を組んだ。1953年にこの取り組みは成功するも[7](p104)、金秀はミャンマーに流入した国民党軍残党と協力しながら、黄金の三角地帯にアヘン貿易ルートを確立させた[8]。冷戦初期、ビルマにおける共産主義の蔓延を防ぐため、アメリカ中央情報局(CIA)は金秀の軍閥に資金援助をおこなった。1953年、金秀と副官の羅星漢は、タイ国境からビルマに戻る際に当局の監聴をうけた。彼らは国民党兵士の不法入国を手助けしたとして、マンダレーの刑務所に5年間収監された[3]。
1959年、コーカンにおける楊一族の世襲統治は終焉をむかえ、その権力は地方議会に移譲された[9][10]。しかし、金秀は、国民党の後ろ盾をもとに、コーカンにおける事実上の支配者として、権勢を誇った[11]。コーカンにビルマ政府の統治を行き渡らせるべく、1962年、金秀は兄弟であり、当時ラングーンで議員をつとめていた振声とともに逮捕された[12][13]。インセイン刑務所に6年間収監され[14]、その後はヤンゴンの邸宅で暮らした[15]。
晩年
[編集]1980年代後半、金秀はキン・ニュンに登用され、ミャンマー政府と反政府組織の停戦交渉の仲介に関わった[16]。晩年には僧侶になっていたと伝えられる[17]。2003年、持病を患ったことを契機としてコーカンに戻り、2017年にムセの病院で亡くなった[15]。
私生活
[編集]1948年、金秀は、タマイン領主・段一族のSao Wenと結婚した。金秀の妹であるジュディ・ヤンによれば、金秀は初夜に尿瓶を投げつけたといい、彼は金秀のことを恐れた[14]。1950年までに、金秀は息子である吉卜(拼音: Jíbǔ)をもうかった。この名前は、金秀が戦時中に昆明でみたアメリカ製のジープに由来する[2]。子どもの出産後、2人は別居した[3]。
また、金秀は、ビルマの歌手・女優であるワーワーウィンシュエ[1][6]、ミス・ビルマであり、カレン民族解放軍の戦闘員でもあったルイザ・ベンソン・クレイグと肉体関係を持っていた[4][18]。金秀は一般にバイセクシャルであったと考えられているが、金秀の性的指向が男性に向いていたかどうかは不明瞭である。晩年、金秀は自分を「オリーブおじさん(Uncle Olive)」と呼ばせることを好んでおり、Gabrielle Paluchは、彼女の性自認が男性であった可能性を示唆している[14]。
参考文献
[編集]- ^ a b c Thant Myint-U (8 January 2008). The River of Lost Footsteps. Macmillan. pp. 298–299
- ^ a b c d “不甘做女人,她成为缅甸大毒枭”. 纽约时报中文网 (2017年7月24日). 2020年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月25日閲覧。
- ^ a b c d e “缅甸果敢“女皇帝”杨二小姐高龄辞世”. BBC中文网 (2017年7月18日). 2018年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月25日閲覧。
- ^ a b c d Smith, Harrison. “Olive Yang, cross-dressing warlord and Burmese opium trafficker, dies at 90”. Washington Post
- ^ 赵世龙 (2006年5月18日). “悄然隐退的女毒王杨二小姐”. 金羊网. 2006年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月25日閲覧。
- ^ a b Tzang, Yawnghwe (1987). The Shan of Burma: memoirs of a Shan exile. Institute of Southeast Asian. ISBN 9789971988623
- ^ Ong, Andrew (2023). Stalemate: Autonomy and Insurgency on the China-Myanmar Border. Cornell University Press. ISBN 978-1-5017-7071-5. JSTOR 10.7591/j.ctv2t8b78b
- ^ Lintner, Bertil (March 2000). The Golden Triangle Opium Trade: An Overview (PDF) (Report). Asia Pacific Media Services. p. 7.
- ^ Chouvy, Pierre-Arnaud (2009). Opium: uncovering the politics of the poppy. Harvard University Press. pp. 24,. ISBN 9780674051348
- ^ James, Helen (2006-11-01). Security and sustainable development in Myanmar. Psychology Press. pp. 88. ISBN 9780415355599
- ^ Lintner, Bertil (2015年). “Kokang: The Backstory”. The Irrawaddy (Yangon)
- ^ Chouvy, Pierre-Arnaud (2009). Opium: uncovering the politics of the poppy. Harvard University Press. pp. 24. ISBN 9780674051348
- ^ James, Helen (1 November 2006). Security and sustainable development in Myanmar. Psychology Press. pp. 88. ISBN 9780415355599
- ^ a b c Paluch, Gabrielle (18 July 2017). “The royal-turned-warlord and opium pioneer of the Golden Triangle dies at 90”. The World
- ^ a b “Kokang 'Warlady' Olive Yang Dies at 91” (英語). The Irrawaddy. (2017年7月17日) 2017年7月17日閲覧。
- ^ Thant Myint-U (13 September 2011). Where China Meets India: Burma and the New Crossroads of Asia. Macmillan. ISBN 9781466801271
- ^ Borgenicht, David; Turk Regan (2 April 2008). The Worst-Case Scenario Almanac. Chronicle Books. pp. 146. ISBN 9780811863216
- ^ Zon Pann Pwint (2017年). “The Many Crowns of 'Miss Burma'”. オリジナルの2017年8月23日時点におけるアーカイブ。 2021年9月4日閲覧。