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楊載 (明)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

楊 載(よう さい、生没年不詳)は、琉球に来たの招諭使[1]

解説

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洪武元年(1368年)に中国を平定した明の洪武帝は、周辺諸国に対して服属する様に招諭した[2]。琉球には洪武5年(1372年)に楊載を遣わし、中山王察度を招諭した。故に、察度は弟の泰期を遣わし、明に初めて入貢した[3][4]

楊載は洪武4年(1371年)に博多からの帰路に既に琉球を経由した(道琉球)との説が『鄭開陽雑著』に見えて[5]、それにもとづき1371年に既に明国人が博多琉球福建航路を有していたとの説があるが、近年、いしゐのぞむは鄧球『皇明泳化類編』・高岱『鴻猷録』などにもとづき「道琉球」は「遣琉球」の誤寫であることを明らかにした[6][7][8]。これにより、楊載は洪武4年10月に博多から南京へ帰国後すぐに洪武5年正月に琉球へ派遣されたことが明らかとなり、短時間に日本琉球側が福建琉球間で楊載を導いたことが分かった。

脚注

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  1. ^ 関周一「日本中世史研究から見た遣唐使」『専修大学社会知性開発研究センター東アジア世界史研究センター年報』第4巻、専修大学社会知性開発研究センター、2010年3月、37-50頁、CRID 1390853649756272896doi:10.34360/00008590 
  2. ^ 佐久間重男「明初の日中関係をめぐる二,三の問題 : 洪武帝の対外政策を中心として」『北海道大学人文科学論集』第4巻、北海道大学教養部人文科学論集編集委員会、1965年2月、1-46頁、CRID 1050282813973151616hdl:2115/34281ISSN 03856038 
  3. ^ 琉球新報社 編『最新版 沖縄コンパクト事典』琉球新報社、2003年3月。ISBN 4897420504 
  4. ^ 楊載 (ようさい) - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト”. ryukyushimpo.jp. 2022年9月13日閲覧。
  5. ^ 東喜望「中国と琉球の国交 : 朝貢外交の確立」『白梅学園短期大学紀要』第30号、1994年、35-52頁、CRID 1050001337628358400 
  6. ^ いしゐのぞむ「漢文教材拾零和訓」『長崎純心大学教職課程センター紀要』第5号、2021年。 
  7. ^ 石井望「小チャイナと大世界(四十四)日本で琉球航路を知る、版本比較で解けた謎」『八重山日報』2020年9月27日。2022年9月13日閲覧。
  8. ^ いしゐのぞむ「古琉球史を書き換へる」『純心人文研究』第28号、長崎純心大学、2022年2月、213-240頁、CRID 1050291768469112064ISSN 13412027