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楊萬里

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

楊 萬里(よう ばんり 1919年9月15日 - 2000年12月18日)は、中国広東省出身で日本の中国料理研究家の先駆者のひとり。中国名は楊博文。1973年日本に帰化、本名は弘農博文。

人物・来歴

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8歳の時に来日、早大在学中支那事変で上海に帰る。戦後香港に渡り、1950年に再来日、家業の中華料理店「海珠亭」を継ぐ。その後同じく中華料理店「陽明山」の経営を経て、割烹養育界に転向。中国料理の調理理論、実習、食療から故事来歴までを研究し、日本でいち早く中国料理研究家となる。

八重洲クッキングスクール、松屋クッキングスクール、ニチレイクッキングスクール、朝日カルチャー、玉川高島屋の料理サロン、実践女子大学、聖徳学園などで長年講師を務める傍ら、NHKの「きょうの料理」をはじめ、民放で数多くの料理講習やトーク番組のほか、ラジオ、雑誌で中国料理法、理論、医食同源論、薬膳等を紹介した。また、数多くの食品企業で食品加工や製品開発のコンサルタントを務め、「Cook Do[1]、「こてっちゃん」などの開発に携わった。さらに、横浜市磯子駅前にあった松坂屋の中国料理店「龍泉」で総支配人時代に「中国料理おせち」を広め定着させた。

1971年からNHK「きょうの料理」に10年以上出演。

読売新聞日刊の「きょうの一皿」で長年連載を担当。1990年(財)日本食品生活文化財団より中国料理部門で「金賞」受賞。


モットー

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「医食同源」「美食同源」「食の文字が人の下に良しと書いて、食が人の健康の基本」を説く。

ドラマ出演

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1977年NHK大河ドラマ『花神』で清朝の料理人の役を演じた。出演回を録画したビデオはのちに、楊の息子によってNHKに提供された[2]

著作

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  • 「香港の味」(主婦の友社 1963年)
  • 「わたしにも作れる中国料理」(マコー社 1969年)
  • 「家庭向き中国料理」(マコー社 1971年)
  • 「秘密の中国料理」(経済界 1979年)
  • 「中国料理の通になる」(主婦の友社 1983年)
  • 「美人は食卓からうまれる」(主婦と生活社 1985年)
  • 「楊萬里のおいしい毎日」(里文出版 2000年)
  • 「美人は食卓から」(里文出版 2008年、狩野敏也編著)

脚注

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出典

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  1. 「楊萬里のおいしい毎日」(里文出版 2000年)