森迫親正
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 天文4年(1535年) |
死没 | 天文20年(1551年)8月 |
別名 | 三十郎 |
主君 | 大友義鎮 |
氏族 | 森迫氏 |
父母 | 父:森迫鎮富 |
兄弟 | 親正、正則 |
森迫 親正(もりさこ ちかまさ)は、戦国時代の武将。大友氏の家臣。
生涯
[編集]天文4年(1535年)、大友義鎮の家臣・森迫鎮富の長男として誕生。
天文20年(1551年)8月[1]、大友義鎮が肥後国の合志常陸介を攻めた際従軍し、首を獲るがその後討ち死にした。享年17。この時兜の中に短冊を忍ばせていたので、常陸介がこれを見ると「命より 名こそ惜しけれ 武士(もののふ)の 道にかふべき 道しなければ」とあり、感じ入った常陸介はその首と屍を大友軍に送り返した。
のちに愛国百人一首に歌が収められた。十七歳での採録は最年少である。