森賢吾
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森 賢吾(もり けんご、1875年(明治8年)9月1日[1] - 1934年(昭和9年)1月19日[2][3])は、日本の大蔵官僚、貴族院勅選議員。
経歴
[編集]佐賀県出身。1900年(明治33年)、東京帝国大学法科大学卒業。同年7月に大蔵省に入り、11月に文科高等試験に合格した。司税官・大蔵書記官・大臣秘書官・参事官・馬政局書記官・専売局主事・日本銀行監理官などを歴任した[4]。その後、財務官となりイギリス・フランス駐在を命じられた。
1919年(大正8年)、パリ講和会議全権委員に任命され、翌年には国際経済会議委員や第一次世界大戦の賠償に関するジュネーヴ会議政府代表に任命された。1922年(大正11年)、ジュネーヴ経済財政会議全権委員[5]。1923年(大正12年)、関東大震災が発生すると、外債募集に尽力した[1]。翌年よりアメリカ合衆国駐在を命じられた。
1927年(昭和2年)退官とともに同年4月18日、貴族院議員に勅選され[6][7]、同和会に所属し死去するまで在任[2][8]。また東京電灯株式会社と東邦電力株式会社の顧問に就任した。墓所は鶴見總持寺。
栄典
[編集]- 外国勲章佩用允許
脚注
[編集]- ^ a b 「故森賢吾叙勲ノ件」
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』172頁。
- ^ 『官報』第2115号、昭和9年1月23日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)昭和7年12月増訂』230頁。
- ^ 『大阪毎日新聞』1922年4月6日付 神戸大学デジタルアーカイブ
- ^ 『貴族院要覧(丙)昭和21年12月増訂』37頁。
- ^ 『官報』第89号、昭和2年4月19日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)昭和21年12月増訂』43頁。
- ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。
- ^ 『官報』第2431号「授爵・叙任及辞令」1920年9月8日。
- ^ 「元帥海軍大将子爵伊東祐亨外四十六名外国勲章受領及佩用ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10112637600
- ^ 『官報』第7813号「叙任及辞令」1909年7月12日。
参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙) 昭和7年12月増訂』貴族院事務局、1932年。
- 『貴族院要覧(丙)昭和21年12月増訂』貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 「故森賢吾叙勲ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113125600