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森義八郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

森 義八郎(もり ぎはちろう、1900年2月1日 - 19656月25日)は日本の作曲家、小学校音楽教師。現在の山形県北村山郡大石田町田沢出身[1]。国民歌「紀元二千六百年」を作曲した[2]ほか、「走れトロイカ」など数多くの流行歌や学校の校歌を作曲した。

高等小学校卒業後、警察などに勤務し、代用教員を経て、独学で1920年(大正9年)に小学校教員試験に合格。現在の村山市の大槇尋常小学校では生徒に詩を書かせ文集を作り、その中の優れたものを雑誌「赤い鳥」に投稿するなど積極的な指導を行った。「赤い鳥」で北原白秋西條八十らと知己を得た彼は、その後上京し、渋谷区の大向小学校の教員となり、音楽教員の傍ら作曲活動を行う[1]

淡谷のり子東海林太郎などに曲を提供し1000曲以上発表した[1]

出身地の田沢沼畔に「走れトロイカ」(作詞松村又一)の歌碑がある[2]

脚注

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出典

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  1. ^ a b c 北村山視聴覚教育センター. “郷土の作曲家 ~森 義八郎~”. 北村山視聴覚教育センター. 2022年8月25日閲覧。
  2. ^ a b 歌枕を巡る2:大石田町公式ウェブサイト”. www.town.oishida.yamagata.jp. 大石田町. 2022年8月25日閲覧。

外部リンク

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