森田悟由
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森田 悟由(もりた ごゆう、俗名:常次郎、天保5年1月1日(1834年2月9日) - 大正4年(1915年)2月9日)は、日本の曹洞宗の僧侶。永平寺64世貫首。曹洞宗5代管長(性海慈舩禅師)。号は大休。
略歴
[編集]天保5年(1834年)、尾張国知多郡大谷村(現、常滑市)の森田家の次男に生まれる。天保11年(1840年)、名古屋の大光院で出家。嘉永4年(1851年)に、師僧に従って武蔵国大泉寺に移動、吉祥寺旃檀林に通う。
安政3年(1856年)から諸嶽奕堂に師事し、翌年に奕堂と共に天徳院に移動する。万延元年(1860年)に陽仙院の兄弟子天瑞白龍の後を継ぎ、龍徳寺の住職になる。
明治3年(1870年)に奕堂が總持寺貫首になったのに従って總持寺に入り、明治8年(1875年)、天徳院住職となる。明治11年(1878年)に永平寺単頭・總持寺西堂となり、明治25年(1892年)に貫首、明治27年(1894年)に管長になる。
明治33年(1900年)に大休寺を開き、明治35年(1902年)に道元の650回忌を行い承陽大師号を賜る。明治38年(1905年)には初めて眼蔵会を開催。
明治36年(1903年)、今の福島県福島市に中野不動尊本堂として大正寺を建立。既存の修験道から曹洞宗に改宗され、永平寺の直末寺となる。
著作
[編集]- 『大休悟由禅師広録』6巻(五十嵐悟道編、三合庵、1922年)国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 『禅学大辞典』(大修館書店)p1229
外部リンク
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