森田庄兵衛
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森田 庄兵衛(もりた しょうべえ、1862年11月12日(文久2年9月21日[1])- 1924年(大正13年)11月5日[2][3])は、明治から大正期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]紀伊国伊都郡丁ノ町村[4](和歌山県伊都郡妙寺村、妙寺町を経て現かつらぎ町[2])で、酒造業・森田正治の長男として生まれる[1][2][4]。1879年(明治12年)に上京して慶應義塾で学び[2][4]、1882(明治15年)に帰郷した[4]。父の隠居に伴い1883年(明治16年)4月に家督を相続した[1]。
その後、英語、数学、漢学、修身、習字を教授する伊都郡自助私学校を設立し[2][4]、夜間部も設け、英語教師に英文学者河島敬蔵を招き、地域の子弟の育成に貢献したが、1887年(明治20年)に閉校した[4]。
実業界では、家業の酒造業を営み[1]、伊都銀行頭取、和歌山県農工銀行取締役、四十三銀行監査役、紀陽新聞社社長、南海絹糸紡績社長などを務めた[1][2]。
1909年(明治42年)に新和歌浦の観光開発を計画[2][4]。和歌浦から雑賀崎にかけての45ヘクタールの山林を買収し、1910年(明治43年)周遊道路工事を着工し、15年をかけて周遊道路、第一と第二トンネル、仙集館、水族館を建設した[2][4]。その後、第三トンネルを着工したが病のため完成を見ることはなかった[2][4]。
1911年(明治44年)貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から1918年(大正7年)9月28日まで在任した[2][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 阪上義和『郷土歴史人物事典 和歌山』第一法規出版、1979年。
- 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。