森田太郎
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もりた たろう 森田 太郎 | |
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生誕 | 1977年 |
出身校 | 静岡県立大学国際関係学部卒業 |
職業 |
サラエヴォ・フットボール・ プロジェクト代表 |
森田 太郎(もりた たろう、1977年 – )は、日本の市民活動家。学位は学士(国際関係学)(静岡県立大学)。サラエヴォ・フットボール・プロジェクト代表。
概要
[編集]1977年生まれ。1999年にボスニア・ヘルツェゴビナの非政府組織の活動に参加し、青少年に日本文化や日本語などを教えていた[1]。翌年、ボスニア・ヘルツェゴビナに再度渡り、サッカーを通じた交流活動を展開する。当時のボスニア・ヘルツェゴビナは、ユーゴスラビア紛争に端を発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争などの内戦により国内が疲弊し、激しい民族対立が続いていた。森田はバルカン半島の平和と安定に寄与することを目指し、非政府組織「サラエヴォ・フットボール・プロジェクト」を設立した。ボスニア・ヘルツェゴビナの首都であるサラエボを中心に、サッカーを通じてセルビア人、クロアチア人、ムスリム人の民族融和を図る活動を展開した[2]。それらの活動を纏めた著書も上梓している。
1999年には、秋野豊ユーラシア基金より秋野豊賞を授与された[3]。森田自身も秋野豊を尊敬しており「生涯の先生」[4]と公言している。翌年、在学していた静岡県立大学より、はばたき賞を授与された[5]。(現在小学校の先生)
賞歴
[編集]著作
[編集]- 森田太郎著『サッカーが越えた民族の壁――サラエヴォに灯る希望の光』明石書店、2002年。ISBN 4750315567
脚注
[編集]- ^ 森田太郎「バルカンの空に陽が昇る」『はばたき』70巻、静岡県立大学広報誌編集会議、2000年1月、2頁。
- ^ 森田太郎「サッカーを通したボスニア紛争の予防外交」『秋野豊ユーラシア基金ー秋野豊賞歴代受賞者研究計画ー』秋野豊ユーラシア基金。
- ^ 「第1回(1999年)」『秋野豊ユーラシア基金ー秋野豊賞歴代受賞者ー』秋野豊ユーラシア基金。
- ^ 森田太郎「バルカンの空に陽が昇る」『はばたき』70巻、静岡県立大学広報誌編集会議、2000年1月、3頁。
- ^ 「静岡県立大学はばたき寄金活動実績」『はばたき寄金の活動実績:静岡県公立大学法人 静岡県立大学』静岡県立大学。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- サラエボフットボールプロジェクト - サラエヴォフットボールプロジェクトの公式サイト。
- 秋野豊ユーラシア基金ー秋野豊賞歴代受賞者研究計画ー - 森田の計画を紹介する秋野豊ユーラシア基金の公式サイト。