森環
森環 もり たまき | |
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生年月日 | 1876年6月1日 |
出生地 |
日本 大分県大野郡下野村 (現大分県豊後大野市朝地町下野) |
没年月日 | 1950年12月21日(74歳没) |
出身校 |
大分県立大分中学校卒業 (現大分県立大分上野丘高等学校) |
所属政党 |
(立憲同志会→) 憲政会 |
選挙区 | 大分県郡部選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1915年3月 - 1917年1月25日 |
当選回数 | 2回 |
上井田村長 |
森 環(もり たまき、1876年(明治9年)6月1日[1][2][3] - 1950年(昭和25年)12月21日[4])は、明治から昭和期の農業指導者、実業家、政治家。衆議院議員、大分県大野郡上井田村長。
経歴
[編集]大分県[4]大野郡下野村(上井田村[2][5][6][7]大字下野[1]、朝地村、朝地町を経て現豊後大野市朝地町下野)で、大地主[3]、酒造業[2][6]・森鵜吉の長男として生まれた[3]。1898年(明治31年)大分県立大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)を卒業[2][5][6]。1905年(明治38年)3月、家督を相続し、農業、酒造業を営む[3][4]。
有限責任信用販売購買組合を設立し組合長に就任し、上井田村農会長も務めて18年間在任[5]。1914年(大正3年)大野郡畜産組合長となり30年間在任し、豊後牛の改良などに尽力した[5]。また大野郡内の各地に耕地整理組合を設立して組合長を務め、農業生産の向上に尽力した[5]。1922年(大正11年)上井田村水力電気を設立して取締役社長に就任[5][4][7]。その他、大分県農工銀行監査役、大分県耕地協会副会長、同畜産組合連合会副会長なども務めた[2][3][4][6]。
政界では、上井田村収入役、同助役、同村長を務めた[4][5]。1890年(明治40年)9月、大分県会議員に選出され2期在任し、同参事会員も務めた[2][4][5][6][7]。1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙で大分県郡部から立憲同志会所属で当選し[5][8]、その後、憲政会に所属して衆議院議員に1期在任した[4][7]。その他、地方森林会議員、大分県山林会評議員にも在任した[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
- 『大分県実業家伝』臼杵新聞支社、1918年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『大分県歴史人物事典』大分合同新聞社、1996年。