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森武夫 (陸軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森 武夫
生誕 1889年10月16日
日本の旗 日本 岡山県
死没 (1981-05-07) 1981年5月7日(91歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1912年 - 1945年
最終階級 陸軍主計中将
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森 武夫(もり たけお、1889年明治22年)10月16日[1] - 1981年昭和56年)5月7日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍主計中将。経済学博士[2]

経歴

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1889年(明治22年)に岡山県で生まれた[1]陸軍経理学校第6期主計候補生として1912年(明治45年)5月1日に卒業[3]1918年(大正7年)4月から1921年(大正10年)4月まで員外派遣学生として東京帝国大学経済学部で聴講した[4]1936年(昭和11年)8月1日に陸軍一等主計正進級と同時に陸軍経理学校教官に着任[2]。同年12月1日第19師団経理部長に転じ[2]1938年(昭和13年)12月に第4師団経理部長[2]1939年(昭和14年)3月9日第1師団経理部長を歴任した[2]

同年8月1日に陸軍主計少将に進級と同時に千住製絨所長に就任し[1][2]1940年(昭和15年)4月に陸軍製絨廠長となった[1]1941年(昭和16年)11月6日南方軍経理部長に就任して太平洋戦争に出征[1]1942年(昭和17年)12月に陸軍主計中将に進級した[2]1945年(昭和20年)4月6日中部軍管区司令部附となり[5]4月7日第2総軍経理部長に就任し終戦を迎えた[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 福川 2001, 725頁.
  2. ^ a b c d e f g 外山 1981, 521頁.
  3. ^ 柴田・中村 1981, 633頁.
  4. ^ 秦 2005, 636頁.
  5. ^ 第83号 昭和20年4月8日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120939300 
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。

参考文献

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  • 秦郁彦 編『日本陸海軍総合事典 第2版』東京大学出版会、2005年。ISBN 4130301357 
  • 柴田隆一・中村賢治 著『陸軍経理部』芙蓉書房出版、1981年。 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026