森本義夫
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森本義夫 もりもと よしお | |
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生年月日 | 1893年1月27日 |
出生地 |
日本 福岡県京都郡白川村 (現福岡県京都郡苅田町) |
没年月日 | 1954年12月6日(61歳没) |
出身校 |
東京帝国大学法学部法律学科(独法)卒業 (現東京大学法学部) |
前職 | 鉄道会議議員 |
現職 |
大和運輸顧問 大阪東運送相談役 |
所属政党 | 日本社会党 |
選挙区 | 福岡県第2選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1946年4月 - 1947年3月31日 |
森本 義夫(もりもと よしお、1893年(明治26年)1月27日[1] - 1954年(昭和29年)12月6日[2])は、大正後期から昭和期の鉄道官僚、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]福岡県[2]京都郡白川村[3][4](現苅田町)で生まれる。1912年(明治45年)豊津中学校(現福岡県立育徳館中学校・高等学校)を卒業[3][4]。第五高等学校を経て[3][4]、1919年(大正8年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した[2][3][4]。
法制局に入り法制局属に任官したが、鉄道省に転じ鉄道属となる[2][3]。以後、鉄道局副参事、在外研究員、国際観光局書記官、鉄道局参事、鉄道省大臣官房保健課長、新潟鉄道局長を歴任し、鉄道調査部長で退官した[2][3][4]。
その後、鉄道省嘱託、陸軍省嘱託、華中鉄道公司嘱託、大日本労務報国会厚生局長、同理事、恩給金庫評議員、鉄道会議議員などを務めた[2][3]。
1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙で福岡県第2区から日本社会党公認で出馬して当選し[3][5]、衆議院議員に1期在任した[2]。
その後、大和運輸顧問、大阪東運送相談役を務めた[2][3][4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
- ふるさと人物記刊行会編『ふるさと人物記』夕刊フクニチ新聞社、1956年。
- 中村十生『増補 新豊前人物評伝』新豊前人物評伝刊行会、1978年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。