コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

森本義夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森本義夫
もりもと よしお
生年月日 1893年1月27日
出生地 日本の旗 日本 福岡県京都郡白川村
(現福岡県京都郡苅田町)
没年月日 (1954-12-06) 1954年12月6日(61歳没)
出身校 東京帝国大学法学部法律学科(独法)卒業
(現東京大学法学部)
前職 鉄道会議議員
現職 大和運輸顧問
大阪東運送相談役
所属政党 日本社会党

選挙区 福岡県第2選挙区
当選回数 1回
在任期間 1946年4月 - 1947年3月31日
テンプレートを表示

森本 義夫(もりもと よしお、1893年明治26年)1月27日[1] - 1954年昭和29年)12月6日[2])は、大正後期から昭和期の鉄道官僚政治家衆議院議員

経歴

[編集]

福岡県[2]京都郡白川村[3][4](現苅田町)で生まれる。1912年(明治45年)豊津中学校(現福岡県立育徳館中学校・高等学校)を卒業[3][4]第五高等学校を経て[3][4]、1919年(大正8年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した[2][3][4]

法制局に入り法制局属に任官したが、鉄道省に転じ鉄道属となる[2][3]。以後、鉄道局副参事、在外研究員、国際観光局書記官、鉄道局参事、鉄道省大臣官房保健課長、新潟鉄道局長を歴任し、鉄道調査部長で退官した[2][3][4]

その後、鉄道省嘱託、陸軍省嘱託、華中鉄道公司嘱託、大日本労務報国会厚生局長、同理事、恩給金庫評議員、鉄道会議議員などを務めた[2][3]

1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙で福岡県第2区から日本社会党公認で出馬して当選し[3][5]、衆議院議員に1期在任した[2]

その後、大和運輸顧問、大阪東運送相談役を務めた[2][3][4]

脚注

[編集]
  1. ^ 衆議院『第九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1946年、30頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』659頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『ふるさと人物記』614-615頁。
  4. ^ a b c d e f 『増補 新豊前人物評伝』279-280頁。
  5. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』1544頁。

参考文献

[編集]
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
  • ふるさと人物記刊行会編『ふるさと人物記』夕刊フクニチ新聞社、1956年。
  • 中村十生『増補 新豊前人物評伝』新豊前人物評伝刊行会、1978年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。