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森昭治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

森 昭治(もり しょうじ、1943年9月7日 - 2018年4月18日)は、日本の大蔵金融官僚総理府金融再生委員会事務局長や、金融庁長官住宅金融公庫副総裁、国際経済研究所副理事長等を歴任した。

人物・経歴

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東京都出身。港区立笄小学校麻布中学・高校から東京大学文科類に入学[1] 東京大学法学部第1類(私法コース)卒業[2]、1966年大蔵省入省[3][4]主税局国際租税課配属[5]

1968年 フランス留学[6]。1970年 大蔵省主計局調査課調査係長[7] [1]。1971年 藤枝税務署長。1972年4月 国税庁間税部酒税課長補佐。その後はアフリカ開発銀行外務省在イギリス大使館、大蔵省関税局日本輸出入銀行パリ事務所に勤務し[8]、大蔵省国際金融局投資第三課長、同外資課長、同国際機構課長、アジア開発銀行理事[5]、大蔵省国際金融局総務課長、1991年 外務省在アメリカ合衆国日本国大使館公使[9]。1994年 大蔵省証券局担当審議官金融商品取引所監理官[10][11]。1995年 東京国税局長[12]。1996年 依願退官、損害保険料率算定会副理事長[13]

1998年新設された総理府金融再生委員会事務局長に急遽抜擢。日本長期信用銀行日本債券信用銀行の破綻処理を指揮した[13][4]

2001年 金融庁長官に就任。柳沢伯夫金融相のもとでメガバンクなど大手銀行の再建に尽力した[4]

2002年には自動車の自賠責保険について国土交通大臣扇千景と連名で、自賠責法の指定紛争処理機関(損害調査機関)に自賠責共済紛争処理機構を指定した[14]

2002年 金融庁顧問。2003年 住宅金融公庫副総裁。2005年 国際経済研究所副理事長。2006年 東京ガス監査役[15][12]。2014年、瑞宝重光章受章[16]。2018年 食道がんのため死去。享年74[17]。叙従四位[18]

脚注

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  1. ^ a b 『月刊政治と経済 第21巻 第7-10号』政治と経済社、29頁
  2. ^ 『東大人名録 官公庁編』1986年発行、53頁
  3. ^ 「訃報:森昭治さん74歳=元金融庁長官 - 毎日新聞」毎日新聞2018年4月26日 19時16分
  4. ^ a b c 森昭治氏が死去 元金融庁長官”. 日本経済新聞 (2018年4月26日). 2024年9月27日閲覧。
  5. ^ a b 「財務省名鑑」時評社
  6. ^ 「金融財政事情」1990年9月
  7. ^ 『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1971年発行、472頁
  8. ^ 「月刊金融ジャーナル」2000年4月
  9. ^ 谷口智彦『円・元・ドル・ユーロの同時代史』拓殖大学〈博士(安全保障) 乙第36号〉、2016年。 NAID 500001066279https://takushoku-u.repo.nii.ac.jp/records/16 
  10. ^ 「金融財政事情. 45(39)(2148)」
  11. ^ 「財務省財務局60年史 【第5章 資料編】」財務省
  12. ^ a b 2007年3月期通期第207期有価証券報告書[PDF:1.16MBpdf]東京ガス
  13. ^ a b 【焦点の人】森昭治(金融庁長官) 二度目の官僚人生で頂点を極めた「強運の男」新潮社フォーサイト
  14. ^ 「金融庁・国土交通省告示第1号」。平成14年4月1日官報(号外66号)。「金融庁長官 森昭治、国土交通大臣 林寛子」  。
  15. ^ 貸付債権担保S種第 1 回住宅金融公庫債券 - 住宅金融支援機構 住宅金融支援機構
  16. ^ 『官報』号外第96号、平成26年4月30日
  17. ^ 森昭治さん死去 朝日新聞デジタル
  18. ^ 『官報』第7270号、平成30年5月25日
先代
加藤隆俊
アジア開発銀行日本理事
1987年 - 1989年
次代
八木健
先代
東条正美
国税庁東京国税局長
1995年 - 1996年
次代
斎藤徹郎
先代
日野正晴
金融庁長官
2001年 - 2002年
次代
高木祥吉
先代
岡田康彦
住宅金融公庫副総長
2003年 - 2005年
次代
三井康壽
先代
中平幸典
国際経済研究所副理事長
2005年 - 2011年
次代
井戸清人