森山実道
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛文12年(1672年) |
死没 | 享保6年1月29日(1721年2月25日) |
別名 | 又左衛門(通称) |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川綱豊(家宣)、家継、吉宗 |
藩 | 甲斐甲府藩 |
氏族 | 森山氏 |
父母 | 森山実吉、中島弥右衛門娘 |
兄弟 | 実輝、実道 |
妻 | 遠山甚五兵衛娘 |
森山 実道(もりやま さねみち)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本。4代飛騨代官。通称は又左衛門。家禄は150俵。
略歴
[編集]森山実吉の子として誕生。兄は代官森山実輝。室は遠山甚五兵衛の娘。
元禄13年(1700年)甲府徳川家に召し出され勘定を務める。宝永元年(1704年)徳川綱豊が江戸城に移る時に幕臣となり、蔵米100俵を給う。正徳元年(1711年)50俵を加増される。正徳3年(1713年)越前国石田代官となる。正徳5年(1715年)から飛騨代官となり、高山糸問屋の任命を行う。実道の代から飛騨代官は専任となる。享保6年(1721年)1月29日死去。享年50。
経歴
[編集]- 元禄13年(1700年)勘定出役
- 宝永元年(1704年)幕臣となり、本丸勘定を務める。蔵米150俵。
- 正徳元年(1711年)50俵を加増される。
- 正徳2年(1712年)駿河国・遠江国・三河国・美濃国を巡見する。
- 正徳3年(1713年)越前国石田代官となる。
- 正徳5年(1715年)飛騨代官となる。
- 享保6年(1721年)死去