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森家先代実録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

森家先代実録(もりけせんだいじつろく)は、赤穂藩森家が編纂した森家の家史[1]。全28巻(附津山城図3枚)・補遺2巻。

編纂の経緯

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赤穂藩主森忠哲は若年ながら学問を好み、先祖の事績を明らかにせんとして編纂が開始された[1]。忠哲は凡例などを作成させるなど意欲的であったが、文化4年(1807年)20歳で病死した。跡を継いだ実弟の美作守可睦(後の森忠敬)は兄の意志を引継ぎ、文化6年(1809年)に完成した[1]。そのため「実録」では森忠賛(赤穂前藩主)閲・森忠哲纂輯・森可睦追考という表現になっている[1]

編纂は森可紀・各務正章・森正賀・森長清・森賛張・森可周といった赤穂藩重臣の統括によって編纂された。しかし、実務は儒臣村上中所(勤)らが中心となって行った[1]。森家家臣木村昌明の「武家聞伝記」をはじめ、藩庁・家臣の家に伝来する史料を集めて編まれた[1]。可睦は更に補遺の編纂を命じ、文化8年(1811年)に補遺2巻が完成した[1]

所在

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  • 原本 - 個人蔵(ただし巻第4と巻第16が欠)。2009年に一般公開された[2]
  • 刊行本
    • 岡山県史編纂委員会編『岡山県史 25巻 津山藩文書』(1981年・岡山県)
    • 小冊子 『津山郷土館近世基礎資料1 森家先代実録』(1968年・津山市教育委員会)第5~10巻までの翻刻[1]
    • 『津山温故会誌』(一部採録)
    • 『大日本史料』(長可・忠政の伝記の一部のみ採録)[1]
    • 『津山城 資料編』(津山市教育委員会編) 原本による附図の全体図が収められている[1]
    • 三好基之・近田陽子『津山城』(山陽新聞社) 原本全点及び詳細な部分写真が掲載[1]
    • 『津山城 資料編Ⅱ』津山市教育委員会編  新見本の附図が収められている。
    • 『津山城百聞録』津山市教育委員会編  先代実録を多く引用している。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 森家史料調査会HP(先代実録紹介のページ)
  2. ^ 歴博で「赤穂を治めた藩主」展 赤穂民報 2009年11月27日 2016年4月12日閲覧