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森大 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森 大
浦和学院高等学校硬式野球部 監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区[1]
生年月日 (1990-12-28) 1990年12月28日(33歳)
身長
体重
179[2] cm
75[2] kg
選手情報
投球・打席[2]投右[2]
ポジション 投手[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 浦和学院高等学校

森 大(もり だい、1990年12月28日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)出身の元社会人野球選手高校野球指導者。浦和学院高校早稲田大学教育学部卒。

経歴

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浦和学院高等学校時代には控え投手として、夏の甲子園大会2007年2008年の2度出場[3][4]。同級生に坂本一将がいる[5]。2007年は本大会でベンチ入りしながら登板機会に恵まれなかったものの、2008年は南埼玉大会の全6試合に先発する活躍を見せ、父親でもある監督の森士と「親子鷹」として注目された[6]

高校卒業後は早稲田大学に進み全日本大学選手権優勝を経験。三菱自動車倉敷オーシャンズでプレーののち、25歳で引退。引退後は後述の高校野球指導をしながら筑波大学大学院で1年、早稲田大学大学院で2年間、スポーツバイオメカニズムや心理学を学ぶ[3][4]

2016年からは浦和学院高校のコーチとして着任[3]。また後に同校の部長も務める。2021年夏の大会をもって父・士が監督を退任したため秋季大会より監督に就任[3]。同校は2022年センバツに出場を果たし、父・士と同じく就任1年目の甲子園大会出場を達成した[4]。また、同大会の出場監督の中では最年少(31歳)だった[注 1]。翌年の2023年には監督として初めて夏の甲子園に出場した。

家族

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  • 父:森士:浦和学院高校元野球部監督。浦和学院高校副校長。
  • 弟:森光司:元社会人野球選手[7]、鷺宮製作所コーチ、浦和学院高校臨時コーチ。浦和学院高校 - 東洋大学 - 鷺宮製作所

人物・エピソード

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主な実績

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甲子園の成績

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  • 春:出場1回・3勝1敗・勝率.750
  • 夏:出場1回・0勝1敗・勝率.000
  • 通算:出場2回・3勝2敗・勝率.600

監督としての主な成績

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脚注

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注釈

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  1. ^ 國學院久我山尾崎直輝も同い年だったが、尾崎は5月8日生まれであり、森の方が半年以上若い。

出典

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  1. ^ a b 浦和学院高校野球部スタッフ紹介”. 浦和学院高校野球部. 2022年4月30日閲覧。
  2. ^ a b c d 2012春季”. 一般財団法人 東京六大学野球連盟. 2022年7月11日閲覧。
  3. ^ a b c d “浦和学院・森大監督 親子2代&聖地開幕星 父・森士前監督の前で7年ぶり初戦突破”. デイリー. (2022年3月20日). https://www.daily.co.jp/baseball/2022/03/20/0015149200.shtml 2022年4月30日閲覧。 
  4. ^ a b c 樫本ゆき (2022年3月18日). “父は甲子園28勝の名将…センバツ最年少・浦和学院監督(31)が見直した“野球界のあたりまえ”「朝練より睡眠時間を優先」”. Number Web. 甲子園の風. 2022年4月30日閲覧。
  5. ^ 浦和学院(埼玉)編「2013年選抜優勝、2015年選抜ベスト4と黄金期に入りつつある浦学のつながり!」”. 高校野球ドットコム. p. 2 (2015年7月14日). 2022年4月30日閲覧。
  6. ^ “浦学親子鷹で埼玉初3連覇”. 日刊スポーツ. (2008年7月27日). https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/sensyuken/2008/chihou/ssaitama/ssaitama-victory.html 2022年4月30日閲覧。 
  7. ^ 「父と兄はタイプ違う」臨時コーチに森光司氏”. 浦和学院だより. 浦和学院高校硬式野球部 (2022年2月7日). 2022年5月2日閲覧。
  8. ^ 樫本ゆき (2022年3月18日). “浦和学院監督兼心理カウンセラー(31歳)が考える“叱り方わからない問題” 怒りを力に“変えられた”平野歩夢、しかし高校球児は…”. Number Web. 甲子園の風. 2022年6月12日閲覧。

外部リンク

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