森周六
森 周六(もり しゅうろく[1]、1898年(明治31年)3月14日[2]-1961年(昭和36年)2月4日[1][2])は、日本の農学者、農業工学者。専門は農業機械学。農学博士。九州大学教授。九州大学農学部長や日本学術会議会員を歴任。
人物
[編集]鹿児島県大島郡瀬戸内町[1]阿木名[3]出身[4]。医師の父の六男として生まれる[1]。阿木名尋常小学校[1]、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て[1][2]、1919年(大正8年)[1]第七高等学校造士館 (旧制)卒業[1][2]。1922年(大正11年)東京帝国大学農学部農学科卒業[1][2]。東大の恩師のすすめで同年より東京帝国大学農学部講師[1]。1924年(大正13年)7月28日、九州帝国大学農学部助教授となる[5]。1933年(昭和8年)4月19日、論文「本邦在来犂ニ関スル研究」で北海道帝国大学より農学博士号授与[6](農業機械関係では日本初[1])。
1941年(昭和16年)12月20日、九州帝国大学農学部教授に昇任[5]。終戦直後、母校の東大教授に招聘されるが、九大への愛着を理由に固辞[1]。学制改革により新制の九州大学農学部教授。1950年(昭和25年)6月30日~1952年(昭和27年)同日、農学部長を兼任[5]。
1937年(昭和12年)の農業機械学会(現・農業食料工学会)設立に携わり、以来亡くなるまで20有余年間同会理事として学会の発展と農業機械学の体系化に尽力[2]。また、農業機械学会に推挙され日本学術会議会員に3選[1]。その他、農林省農業機械化審議会委員を歴任[2]。1956年(昭和31年)、著書『犂と犂耕法』により第1回農業機械学会賞受賞[2]。1959年(昭和34年)、土に対する農機具の研究の業績により西日本文化賞受賞[2]。
九州大学教授在任中の1961年(昭和36年)2月4日、同大学の研究室にて急逝[1][2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『瀬戸内町誌 歴史編』(瀬戸内町、2007年3月)757-758頁
- ^ a b c d e f g h i j 『農業機械学会誌 第22巻 第4号』(農業機械学会、1961年3月)146頁
- ^ 南海日日新聞「森周六の肖像画など寄贈 瀬戸内町立郷土館に長男夫妻持参」(2017年11月22日)
- ^ 農業機械学会誌の訃報では鹿児島市生まれ扱い
- ^ a b c 『九州大学百年史』(2017年3月)第11巻 資料編Ⅳ, doi:10.15017/1800865
- ^ 森周六, 「本邦在来犂ニ関スル研究(邦文)」 北海道帝国大学 博士論文, 報告番号不明, 1933年, NAID 500000493210