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森はな

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
もり はな

森 はな
生誕 1909年4月16日
兵庫県養父郡大蔵村宮田
(現・朝来市和田山町
死没 (1989-06-14) 1989年6月14日(80歳没)
兵庫県加古川市加古川町寺家町
出身校 兵庫県明石女子師範学校
神戸大学国際人間科学部の前身)
職業 児童文学作家・教育者
代表作 『じろはったん』
受賞 日本児童文学者協会新人賞(1974年)
絵本にっぽん大賞(1982年)
加古川文化賞(1984年)
神戸新聞平和賞(1987年)
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森 はな(もり はな、1909年(明治42年)4月16日 - 1989年(平成元年)6月14日)は、兵庫県出身の児童文学作家・教育者。代表作は知的障害のある青年と地域との交流を描いた『じろはったん』。

経歴

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少女時代

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1909年(明治42年)、兵庫県養父郡大蔵村宮田(現・朝来市和田山町)で、酒類販売業を営む父の次女として生まれた。1924年(大正13年)に大蔵尋常高等小学校高等科から兵庫県明石女子師範学校神戸大学国際人間科学部の前身のひとつ)[1]に進学し、1928年(昭和3年)に明石女子師範学校を卒業した後、南谷尋常小学校の教員となり、その後養父尋常小学校に転任となった。

教員として

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この頃に兄の友人であり後に結婚する森種樹との文通が始まり、1932年(昭和7年)に結婚した[2][3][4]。1936年(昭和11年)には夫婦共に高砂市立荒井小学校へ転任となり、森種樹の実家である加古郡加古川町(現・加古川市)に転居したが、森家とは不仲で勤務先近くに住んだ。

1951年(昭和26年)に兵庫県から退職勧告を受けたがこの時は退職せず、降格されて高砂市立伊保小学校に転任となった。この時期に学校劇に取り組み、「お祭りに来た兄弟」(1952年)がNHK主催の第1回近畿学校劇コンクールで最優秀賞を受賞し、翌年も「峠のお祭り」(1953年)で最優秀賞を受賞した。1960年(昭和35年)に51歳で再び退職勧告を受け教員を退職した[5]

児童文学作家として

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退職した年に「神戸児童文学『あす』の会」に入り、会の同人誌である『あす』に作品を発表し始めた。そして日本児童文学者協会の会員となった[6]

1973年(昭和48年)に64歳で初めての出版作品で代表作となる『じろはったん』を出し、1974年(昭和49年)には第7回日本児童文学者協会新人賞を受賞すると、「遅咲きの新人」と評価された。翌年の1975年(昭和50年)、夫の森種樹をガンにより亡くした[7]

1977年(昭和52年)に加古川市の自宅で児童文学の会「森はな学校」を発足させ、灰谷健次郎あまんきみこや地域の文学愛好家が参加した[8]

1982年(昭和57年)に絵本『こんこんさまにさしあげそうろう』で第5回絵本にっぽん大賞受賞。1984年(昭和59年)に第1回加古川文化賞を受賞した[6]

1985年(昭和60年)に文学活動を支えてくれていた長男の秀樹を日本航空123便墜落事故で亡くしたが、悲しみから立ち直って創作を続け、1987年(昭和62年)に第41回神戸新聞平和賞を受賞した[9][10]

死去

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1989年(平成元年)6月14日、『赤いマントのおばあちゃん』の制作途中に亡くなった[11]

顕彰運動

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出身校の朝来市立大蔵小学校では、毎年秋に行われる「市学校音楽祭」で、作品を音楽物語にして公演されている[10]朝来市和田山図書館には森はなコーナーがある。

日本ミュージカル研究会・劇団JMAが、主宰者でミュージカル作家の高井良純による脚色・作曲・演出でミュージカル「じろはったん」を公演している[12]

2012年(平成24年)、朝来市にある和田山中央文化公園に「森はなさんの生涯をNHK朝の連続テレビ小説に」と書かれた高さ4mの立て看板が設置された。市民団体「森はなの伝記を『NHK朝ドラへ』の会」などがの朝ドラの誘致活動を行っており[13][14]、2011年(平成23年)4月時点で3万筆を超える署名が集まっている[15]

作品

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  • じろはったん
  • ハナ先生ものがたり
  • わたしトシエです
  • ひいちゃんとタチアオイの花
  • もどってくるもどってこん
  • おばあさんは落語屋さん
  • めんどりコッコ
  • こんこんさまにさしあげそうろう
  • キツネの花よめいしょう
  • おさよつばき
  • 一二(ほい)とうげ
  • わたしはめんどりコッコです
  • お葉つきいちょう
  • こはる先生だいすき
  • キツネとしゅんぺいじいさん
  • 土の笛

脚注

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  1. ^ 発達科学部の前身”. 神戸大学 (2011年1月24日). 2011年12月1日閲覧。
  2. ^ 長嶺麻子 (2008年1月26日). “「ふるさと」の語り部 森はな 原風景 朝来市和田山町”. 神戸新聞. 2011年12月1日閲覧。
  3. ^ 長嶺麻子 (2008年2月2日). “「ふるさと」の語り部 森はな 女子師範入学 明石市”. 神戸新聞. 2011年12月1日閲覧。
  4. ^ 長嶺麻子 (2008年2月9日). “「ふるさと」の語り部 森はな 夫との恋文 但馬”. 神戸新聞. 2011年12月1日閲覧。
  5. ^ 長嶺麻子 (2008年2月16日). “「ふるさと」の語り部 森はな 32年の教員生活 加古川・高砂”. 神戸新聞. 2011年12月1日閲覧。
  6. ^ a b 兵庫県文学読本 p.162
  7. ^ 長嶺麻子 (2008年2月23日). “「ふるさと」の語り部 森はな 心は再び故郷へ 但馬”. 神戸新聞. 2011年12月1日閲覧。
  8. ^ 長嶺麻子 (2008年3月1日). “「ふるさと」の語り部 森はな 「じろはったん」翻訳”. 神戸新聞. 2011年12月1日閲覧。
  9. ^ 社会貢献・神戸新聞平和賞”. 神戸新聞. 2024年5月1日閲覧。
  10. ^ a b 長嶺麻子 (2008年3月8日). “「ふるさと」の語り部 森はな 播磨に響く但馬の物語”. 神戸新聞. 2011年12月1日閲覧。
  11. ^ 長嶺麻子 (2008年3月15日). “「ふるさと」の語り部 森はな 時代超え伝わる精神”. 神戸新聞. 2011年12月1日閲覧。
  12. ^ ミュージカル「じろはったん」”. 日本ミュージカル研究会・劇団JMA. 2011年12月1日閲覧。
  13. ^ 森はな:児童文学者の生涯、TVドラマ化求め看板 - ウェイバックマシン(2012年3月1日アーカイブ分)
  14. ^ 『森はなの生涯を朝ドラへ』の活動を応援しています。 - 朝来市 (PDF)
  15. ^ 作家故森はなさんを朝ドラへ 署名の輪3万人超”. 神戸新聞 (2011年4月15日). 2011年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月20日閲覧。

参考文献

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  • 兵庫県高等学校教育研究会国語部会 編『兵庫県文学読本』(初版)第一学習社、1993年3月。ISBN 4804073515 

関連項目

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