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棚橋家住宅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
棚橋家住宅
情報
構造形式 木造瓦葺[1]
建築面積 222 m² [1]
階数 平屋建[1]
竣工 1875年
所在地 458-0924
愛知県名古屋市緑区有松3004
座標 北緯35度03分59.4秒 東経136度58分15.3秒 / 北緯35.066500度 東経136.970917度 / 35.066500; 136.970917 (棚橋家住宅)座標: 北緯35度03分59.4秒 東経136度58分15.3秒 / 北緯35.066500度 東経136.970917度 / 35.066500; 136.970917 (棚橋家住宅)
文化財 登録有形文化財
指定・登録等日 2009年4月28日[1]
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棚橋家住宅(たなはしけじゅうたく)は、愛知県名古屋市緑区有松3004にある邸宅。主屋が登録有形文化財

有松重要伝統的建造物群保存地区内にあり、旧東海道に北面している。旧東海道を挟んで向かいには愛知県指定文化財の服部家住宅(井桁屋)があり、東隣には有松・鳴海絞会館がある。

歴史

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服部七左衛門家の竣工

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向かいにある服部家住宅

1875年(明治8年)[1]有松・鳴海絞りの絞り問屋である服部七左衛門家(屋号は大井桁)として建てられた[2][3][4]。なお、旧東海道を挟んで向かいにある服部孫兵衛家(屋号は井桁)は服部七左衛門家から分家した家である[2]。近代には服部七左衛門家が衰退していった[2]

棚橋医院への転用

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1933年(昭和8年)、無医村だった有松村に名古屋医科大学(現・名古屋大学医学部)から医師の棚橋龍三が派遣され、空き家となっていた服部七左衛門家で開業した[2]。棚橋龍三は学生時代にチェロを演奏するなど、音楽に対して造詣が深かった[5]太平洋戦争中の有松には名古屋俘虜収容所第二分所(鳴海分所)があり、棚橋龍三はドイツ系アメリカ人の軍医とともに捕虜の診療を請け負っていた[6]

戦後には捕虜に対して行っていたによる治療が虐待とみなされ、1946年(昭和21年)には棚橋龍三がBC級戦犯裁判にかけられたが、このアメリカ人軍医が「日本では一般的な治療」と証言してくれたことで無罪となった[6]。この軍医とは友好関係を築き、後に軍医から棚橋龍三に対してルビーの指輪が贈られたほか、2011年(平成23年)には棚橋家住宅からドイツ製とみられるフルートも発見された[6]。1950年(昭和25年)には棚橋家が建物の所有者となり、引き続き棚橋医院として用いられた[2]

1988年(昭和63年)には棚橋医院が名鉄名古屋本線有松駅の北側に移転し、この建物は棚橋家の住居となった[2][3]

近年の動向

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2009年(平成21年)4月28日、主屋が登録有形文化財に登録された[7][1]。2013年(平成25年)には改修工事が竣工した[2]。2014年(平成26年)10月には、愛知登文会によって登録有形文化財の特別公開(後の「あいたて博」)が初めて行われたが、この際には棚橋家住宅も特別公開を実施した[8]

2016年(平成28年)7月には棚橋家住宅を含む範囲が重要伝統的建造物群保存地区に選定された。2019年(令和元年)には名古屋市民有志が「捕虜収容所跡を残す会」を設立し、同年6月9日には棚橋家住宅で天野鎮雄主演の朗読劇が催された[9]

建築

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2階には長さ16.4メートルもの松材の大敷梁がある[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 棚橋家住宅 文化遺産オンライン
  2. ^ a b c d e f g 『名古屋市 有松 伝統的建造物群保存対策調査報告書』名古屋市、2015年、pp.130-133
  3. ^ a b c 『保存情報 3』日本建築家協会東海支部愛知県地域会保存研究会、2015年、pp.178-179
  4. ^ 棚橋家住宅(国登録文化財)の大改修が完了しました!」『有松歴史まちづくりニュース』2013年11月、第5号
  5. ^ 「歴史薫るフルートの音色 戦前、有松に着任 医師の故棚橋さん遺品 文化財の住宅で演奏会」『中日新聞』中日新聞社、2021年3月8日。
  6. ^ a b c 「古楽器奏でる亡父の縁 有松・棚橋家住宅のフルート 捕虜と米軍医と友情 贈り物?」『中日新聞』中日新聞社、2021年3月5日。
  7. ^ 「後世に残そう棚橋家住宅 国登録有形文化財 県内から追加7件」『中日新聞』中日新聞社、2009年3月20日。
  8. ^ 「国文化財建造物公開へ 名古屋、尾張、三河の37件」『中日新聞』中日新聞社、2014年10月23日。
  9. ^ 「捕虜収容所の歴史後世に 緑区で学習会 遺構保存や案内板設置へ」『中日新聞』中日新聞社、2019年9月22日。

参考文献

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  • 『名古屋市 有松 伝統的建造物群保存対策調査報告書』名古屋市、2015年
  • 『保存情報 3』日本建築家協会東海支部愛知県地域会保存研究会、2015年

外部リンク

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