梶峰城
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梶峰城 (佐賀県) | |
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別名 | 多久城 |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 多久宗直 |
築城年 | 建久4年(1193年)頃 |
主な城主 | 多久氏、龍造寺氏 |
廃城年 | 慶長5年(1600年) |
遺構 | 土塁 |
梶峰城(かじみねじょう)は、佐賀県多久市にあった日本の城(山城)。別名多久城(たくのじょう)[1]。
概要
[編集]多久市にある標高201mの梶峰山の頂に位置する。津久井氏を祖とする多久氏は、当初南多久の館に拠ったが、建久4年(1193年)頃に多久宗直が当城と砦、居館を築いた。
以降は350年以上にわたり多久氏が居城としたが、天文13年(1544年)に龍造寺周家に攻められると当主・多久宗時は逃亡して周家が城主となった。翌14年(1545年)に有馬氏の支援を受けて多久氏が当城に復帰したが、永禄5年(1562年)に龍造寺隆信・長信に再び攻められて須古に移った。以後は長信が城主となり、天正15年(1587年)に豊臣秀吉より多久藩主に任ぜられている。やがて慶長5年(1600年)に廃され、多久藩は鍋島藩内の多久邑となった。
出典
[編集]- ^ 『フロイス日本史』9(中央公論社、1979年)p.128。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(43.熊本県)』、角川書店、1987年