梁田直次
表示
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 天和3年4月18日(1683年5月14日) |
別名 | 半之丞、半兵衛 |
戒名 | 正寿院鉄心良肝 |
官位 | 従五位下隠岐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光、家綱、綱吉 |
氏族 | 桓武平氏鎌倉氏庶流古屋氏、尾張簗田氏 |
父母 | 古屋平右衛門、梁田正勝 |
子 | 直秀、筒井忠清室 |
梁田 直次(やなだ なおつぐ)は、江戸時代前期の旗本。官位は従五位下・隠岐守。
略歴
[編集]古屋平右衛門の子。承応2年(1654年)、その前年に没した梁田正勝の名跡・家督を継承する。養父と同じく幕府大番を務め、明暦2年(1656年)に組頭となる。寛文元年(1661年)御納戸番頭、寛文6年(1666年)女院(東福門院)附きとなって700石を加増されて1,520石を領し、従五位下隠岐守に任官する。延宝6年(1678年)東福門院の崩御後は寄合となる。
子には直秀(通称:半兵衛)がおり、天和3年(1683年)直次没後に家督を継承しているが、元禄8年(1695年)に没。直秀の跡は嫡子の主殿が家督を継ぐものの、翌元禄9年(1696年)に没し、旗本梁田氏は断絶した。