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梁田直次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
梁田直次
時代 江戸時代前期
生誕 不明
死没 天和3年4月18日1683年5月14日
別名 半之丞、半兵衛
戒名 正寿院鉄心良肝
官位 従五位下隠岐守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光家綱綱吉
氏族 桓武平氏鎌倉氏庶流古屋氏尾張簗田氏
父母 古屋平右衛門、梁田正勝
直秀筒井忠清
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梁田 直次(やなだ なおつぐ)は、江戸時代前期の旗本官位従五位下隠岐守

略歴

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古屋平右衛門の子。承応2年(1654年)、その前年に没した梁田正勝の名跡・家督を継承する。養父と同じく幕府大番を務め、明暦2年(1656年)に組頭となる。寛文元年(1661年)御納戸番頭、寛文6年(1666年女院東福門院)附きとなって700石を加増されて1,520石を領し、従五位下隠岐守に任官する。延宝6年(1678年)東福門院の崩御後は寄合となる。

子には直秀(通称:半兵衛)がおり、天和3年(1683年)直次没後に家督を継承しているが、元禄8年(1695年)に没。直秀の跡は嫡子の主殿が家督を継ぐものの、翌元禄9年(1696年)に没し、旗本梁田氏は断絶した。

参考文献

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