桜井徳太郎 (実業家)
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桜井 徳太郎(さくらい とくたろう、1856年(安政3年6月[1][2]) - 1908年(明治41年)6月21日[2])は、明治時代の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]大和国宇智郡、のちの奈良県宇智郡五條町(現五條市)に生まれる[1]。幼くして森田仁庵の門に入り経史を修めたのち、佐野煥につき詩文を学んだ[1]。鉄道同志会幹事、大和銀行監査役、南和鉄道取締役、紀和鉄道社長を歴任した[2]。ほか、勧業諮問委員、実業奨励委員、土木調査委員を務めた[2]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では奈良県第3区から出馬し当選[2]。弥生倶楽部に属し衆議院議員を1期務めた[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 篠田正作 編『明治新立志編』鍾美堂、1891年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。