桜ヶ丘古墳
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桜ヶ丘古墳 | |
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別名 | 桜ケ丘古墳 |
所在地 | 長野県松本市浅間温泉1315(字飯治洞) |
位置 | 北緯36度15分41.45秒 東経137度59分24.55秒 / 北緯36.2615139度 東経137.9901528度座標: 北緯36度15分41.45秒 東経137度59分24.55秒 / 北緯36.2615139度 東経137.9901528度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径30m 高さ5m |
埋葬施設 | 竪穴式石室 |
出土品 | 天冠・甲冑ほか副葬品多数 |
築造時期 | 5世紀後半 |
史跡 | なし |
有形文化財 | 出土品(長野県宝) |
地図 |
桜ヶ丘古墳(さくらがおかこふん、桜ケ丘古墳)は、長野県松本市浅間温泉にある古墳。形状は円墳。史跡指定はされていない。出土品は長野県宝に指定されている。
概要
[編集]長野県中部、松本盆地北東縁の桜ヶ丘丘陵の尾根先端部(標高約678メートル)に築造された古墳である。1954年(昭和29年)に中学生によって発見され、1955年(昭和30年)に発掘調査が実施されて副葬品が出土している。
墳形は円形で、直径約30メートル・高さ約5メートルを測る[1]。埋葬施設は遺存状態が悪いが、竪穴式石室の一種で、主室・副室に分かれている[1]。主室の内法は長さ2.5メートル・幅1.2-1.3メートル、副室(礫槨)の内法は長さ1.8-1.85メートル・幅約0.6メートルを測る[1]。石室内からは金銅製天冠・甲冑一式を始めとする多数の副葬品が検出されている。
築造時期は、古墳時代中期の5世紀後半頃と推定される[1][2]。政治的な権威を示す天冠・竪櫛と、武力的な権威を示す武具・武器類が共に副葬される点で特異性を示す古墳になる[2]。
出土品は2010年(平成22年)に長野県宝に指定されている。
遺跡歴
[編集]- 1954年(昭和29年)、女鳥羽中学校生徒によって発見。
- 1955年(昭和30年)、発掘調査。副葬品の出土(國學院大學の大場磐雄ら、1966年に報告)。
- 1969年(昭和44年)、金銅製天冠が長野県宝に指定。
- 1987年(昭和62年)、県史編纂事業に伴う墳丘測量調査および遺物の一部の再実測(滝沢誠ら、1988年に報告)。
- 1988年(昭和63年)3月17日、金銅製天冠以外の出土品が松本市指定重要文化財に指定。
- 2002年度(平成14年度)、遺物再整理(松本市教育委員会、2003年に報告書刊行)[1]。
- 2010年(平成22年)10月18日、出土品が長野県宝に指定。
出土品
[編集]1955年(昭和30年)の発掘調査で検出された副葬品は次の通り[2]。
- 装身具類
- 金銅製天冠 1
- 黒漆塗竹製竪櫛 1 - 天冠に付着。
- 瑪瑙製勾玉 1
- ガラス製丸玉 9
- ガラス製小玉 32
- 滑石製臼玉 5
- 武具類
- 三角板革綴衝角付胄 1
- 革綴頸甲 1
- 長方板革綴短甲 1
- 武器類
- 鉄剣 5
- 直刀 1
- 鉄矛 1
- 鉄鏃 5
-
衝角付冑
-
短甲
-
装身具・武器・頸甲
文化財
[編集]長野県指定文化財
[編集]- 長野県宝(有形文化財)
- 桜ヶ丘古墳出土品(考古資料) - 2010年(平成22年)10月18日指定。
関連施設
[編集]- 松本市立考古博物館(松本市中山) - 桜ヶ丘古墳の出土品を保管・展示。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 「桜ヶ丘古墳」『日本歴史地名大系 20 長野県の地名』平凡社、1979年。ISBN 4582490204。
- 小林三郎「桜ケ丘古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 『長野県松本市桜ヶ丘古墳 -再整理報告書-(松本市文化財調査報告No.170)』松本市教育委員会、2003年 。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『信濃浅間古墳』本郷村教育委員会、1966年。
- 青木繁夫「松本市桜ヶ丘古墳出土金銅天冠の修復処置(受託研究報告第40号)」『保存科学』第15号、東京国立文化財研究所、1976年3月31日、51-55頁。 - リンクは東京文化財研究所。
- 滝沢誠「長野県松本市桜ケ丘古墳の再調査」『信濃』第40巻第10号、信濃史学会、1988年10月、941-954頁。