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桂藤誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

桂 藤誠(かつら とうせい)は上方落語名跡。2代目の死後は空き名跡となっている。

  • 初代 - 詳細不明。
  • 2代目 - 本項にて記述。

2代目桂 藤誠(かつら とうせい、生年不詳 - 1908年1月5日)は、上方落語家。本名、大久保 甲子藤

2代目 かつら 藤誠とうせい
本名 大久保 甲子藤
生年月日 不詳年
没年月日 1908年1月5日
師匠 6代目桂文治
3代目桂藤兵衛
名跡 1.桂文如(? - 1894年)
2.2代目桂藤誠(1894年 - 1908年)
活動期間 ? - 1908年
活動内容 上方落語
家族 桂三木丸(実子)
所属 藤明派
互楽派

経歴

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幕末頃、旗本の家に生まれたが、芸事が好きで、劇場寄席楽屋鳴物声色、噺を覚えるようになる。

その後高座に上がるようになり、最初は6代目桂文治の門で桂文如の名を貰った。文治の門下だったことから関東地方巡業が多く、東京で流行っていたステテコ踊りを明治20年代に京都で初めて演じた。

1894年5月、3代目桂藤兵衛の門下になり、藤誠を名乗った。

芸は落語よりもステテコ踊りや皿廻し、手品を得意とした。師匠が設立した「藤明派」に真っ先に参加、解散後は残党を集めて「互楽派」を立ち上げた。

実の子は桂三木丸

出典

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  • 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社ISBN 458212612X
  • 古今東西噺家紳士録