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桂峯院(けいほういん、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。丹羽長秀の正室。織田信長の庶兄・織田信広の娘で、信長の養女[1]。
永禄6年(1563年)に叔父に当たる信長の養女となり、丹羽長秀と結婚した。元亀2年(1571年)4月に嫡男の鍋丸(後の丹羽長重)を生んでいる(『丹羽家譜』)。なお、長重正室の報恩院は信長の実子で桂峯院の従妹にあたる。他に稲葉典通の正室となった娘もいるが、この娘は桂峯院の所生ではないともされている[2]。法名は桂峯院殿(『丹羽歴代年譜』)。あるいは深光院(『系図纂要』)。
- ^ 岡田正人『織田信長総合事典』雄山閣、1999年、181頁。
- ^ 『丹羽歴代年譜』によると2人の子は長重のみとされている。