栗原孝一郎
栗原孝一郎 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県 |
生年月日 | 1948年3月22日(76歳) |
選手情報 | |
所属 | 埼玉支部 |
登録番号 | 2324 |
登録期 | 27期 |
特徴 | 自在 |
選手実績 | |
選手引退日 | 1999年10月11日 |
記念優勝 | 4 回 |
SG優勝 | 1 回 |
GI/PGI優勝 | 4 回 |
通算優勝 | 69 回 |
通算勝率 | 6.60 |
通算勝利 | 1801勝 |
主要獲得タイトル | |
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栗原 孝一郎(くりはら こういちろう、1948年3月22日 - )は、埼玉県出身の元ボートレーサー。
来歴
[編集]野中和夫と同期。加藤峻二と並んで長い間、戸田の盟主として気迫のレースを見せ、実直な人柄を慕う後輩も多かった[1]。栗原は加藤について、「この世界に天才は2人しか現れていない。加藤さんと今村だけだ」と語っている。1980年には第26回モーターボート記念競走(常滑)で林貢を差して、自身唯一の四大特別競走制覇を飾る。1999年には4月12日の多摩川一般戦「第35回デイリースポーツ賞」で岩口留男・関忠志・古賀武日児を抑えて最後の優勝(4号艇1コース進入)を飾り[2]、9月12日の蒲郡一般戦「トトまるナイト特別」が最後の優出(2号艇2コース進入で5着)となった[3]。10月に地元・戸田で開催された第46回全日本選手権競走の開会式で引退を表明し、8日・3日目5Rで3号艇4コース進入から江口晃生、山室展弘、田頭実、吉田隆義、今村らを破って通算1800勝をマーク[4]。10日・5日目8Rで1号艇1コースから高山秀則と西島義則を抑えて逃げ切り、最後の勝利となる通算1801勝目を挙げた[5]。翌11日・最終日8R戸田選抜が最後の出走となり、2号艇2コース進入で小畑実成・安岐真人・熊谷直樹を抑えて3着に入った[6]。
引退後はJLC解説者を務めたが、突然辞めて渡韓。韓国競艇の第1期生を養成し、競技運営、競艇施設及び審判運営までを訓練所教授として担った[7]。韓国競艇の実質的な生みの親となったが、生活費程度は貰われていたものの、まさにボランティア状態での活動であり、韓国語を猛勉強しすぐにマスターした。帰国後も、ポケットマネーで韓国の選手を招き、交流活動を続けた。現在は毎朝、大量のパンを焼いて、施設にプレゼントしている。毎年10月には韓国競艇の三大競走の一つ「栗原杯」が開催されるが、栗原が渡韓するのは、年にこの一度だけである。
2007年にはボートレース殿堂マイスター入りを果たす[1]。
獲得タイトル
[編集]※太字は四大特別競走を含むSG級レース
- 1980年 - 第26回モーターボート記念競走(常滑)、関東地区選手権競走(戸田)
- 1982年 - 尼崎開設30周年記念競走
- 1985年 - 桐生開設29周年記念競走
- 1987年 - 戸田開設31周年記念競走
脚注
[編集]- ^ a b 2324 栗原 孝一郎 (埼玉) - ボートレース大村 > ボートレース殿堂・殿堂マイスター
- ^ 1999年4月12日 多摩川12R | 艇国データバンク
- ^ 1999年9月12日 蒲郡12R | 艇国データバンク
- ^ 1999年10月8日 戸田5R | 艇国データバンク
- ^ 1999年10月10日 戸田8R | 艇国データバンク
- ^ 1999年10月11日 戸田8R | 艇国データバンク
- ^ 韓国ソウル・現地個人ツアーガイドで観光旅行 マンツーマンツアー