栄輪院
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栄輪院(えいりんいん、天文20年(1551年)? - 天正元年(1573年))は、戦国時代の女性。織田信秀の六女で、織田信長の妹。小田井城主・織田信直に嫁いだ事から小田井殿や小田井の方とも称される[1]。
信秀の晩年に生まれた娘で、清洲三奉行の筆頭格である藤左衛門家の織田信張の子・信直に嫁いだ[1]。信直との間には2男1女(織田信氏、織田忠辰、牧野宮内少輔の娘)が生まれている[1]。栄輪院殿は信直が死去する前年に23歳で死去した[2]。