柿塚古墳
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柿塚古墳 | |
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墳丘 | |
所在地 | 奈良県生駒郡平群町椹原 |
位置 | 北緯34度37分5.40秒 東経135度41分44.65秒 / 北緯34.6181667度 東経135.6957361度座標: 北緯34度37分5.40秒 東経135度41分44.65秒 / 北緯34.6181667度 東経135.6957361度 |
形状 | 円墳 |
規模 | 直径30m(または12m) |
埋葬施設 |
片袖式横穴式石室 (内部に箱式石棺) |
築造時期 | 6世紀初頭 |
史跡 | なし |
地図 |
柿塚古墳(かきづかこふん)は、奈良県生駒郡平群町椹原(ふしはら)にある古墳。形状は円墳。史跡指定はされていない。
概要
[編集]奈良県西部、信貴山東麓の尾根先端部に築造された古墳である。東600メートルには烏土塚古墳が所在する。これまでに発掘調査は実施されていない。
墳形は円形で、直径約30メートル[1][2](または12メートル[3][4])を測る。墳丘外表で葺石・埴輪は認められていない[1]。埋葬施設は片袖式の横穴式石室で、南東方向に開口する。内側への持ち送りが顕著であり、古式の石室形態として注目される。未調査のため副葬品は詳らかでない。築造時期は古墳時代後期の6世紀初頭頃と推定される[1]。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては片袖式横穴式石室が構築されており、南西方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]。
- 玄室:長さ5.2メートル、幅3.2メートル、高さ約3.2メートル
- 羨道:長さ約5メートル、幅1.3メートル、高さ約2.1メートル
石室の羨道部は土砂の流入によって大部分が埋まっている。石室の構築に際しては、下に小ぶりの石材を、上にやや大きい石を積み、内側への持ち送りが顕著である。床面付近では四隅が明確であるが、天井に近づくほど角はなくなる。玄室の天井石は4枚[1]。
玄室中央奥壁寄りには、石室主軸と直交方向に組合式の箱式石棺が据えられる。板石の組合せによって構築されており、内法で長さ2.1メートル・西側幅0.9メートル・東側幅0.7メートルを測る(西頭位か)。奥壁寄りに据えて羨道寄りには空閑があるため、羨道寄りにも追葬の存在が推測される[1]。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(開口部方向)
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玄室の箱式石棺
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
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開口部
脚注
[編集]- ^ a b c d e f へぐりの里の歴史 上 1990.
- ^ ふるさとへぐり再発見9「柿塚古墳」 (PDF) (平群町ホームページ)。
- ^ 柿塚古墳(平凡社) 1981.
- ^ 柿塚古墳(古墳) 1989.
参考文献
[編集]- ふるさとへぐり再発見9「柿塚古墳」 (PDF)(リンクは平群町ホームページ)。
- 「柿塚古墳」『奈良県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系30〉、1981年。ISBN 4582490301。
- 杉山秀宏「柿塚古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「柿塚古墳」『へぐりの里の歴史 上』平群町役場、1990年。