柴田誠也
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道苫小牧市 |
生年月日 | 1985年9月21日(39歳) |
身長 体重 |
185 cm 89 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2003年 ドラフト2巡目 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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柴田 誠也(しばた まさや、1985年9月21日 - )は、北海道苫小牧市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]北海道尚志学園高等学校(現北海道科学大学高等学校)では、2年夏の南北海道大会でリリーフとして準優勝に貢献。秋からエースとなり、3年時は春季北海道大会優勝、夏は2年連続準優勝。
プロ野球ドラフト前は地元の北海道日本ハムファイターズへの入団を希望しており、スポーツ紙等で相思相愛等とも報道されていたが、2003年度ドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブが強行指名。当初は難色を示していたが[1]、交渉の末に契約金6500万円、年俸600万円(いずれも推定)で入団。当時の伊原春樹監督からは「北海の熊」と命名された。
オリックス時代
[編集]技術面の評価は低かったが素材は一級品と将来を嘱望され、1年目の2004年から二軍で18試合に登板して4勝3敗、防御率4.68と素材型の高卒新人としてはまずまずの成績を残し、フレッシュオールスターゲームにも選出された。
2005年からは分配ドラフトでオリックス・バファローズと契約。しかしその後は故障に苦しみ、二軍で11試合に登板し防御率12.27。2006年は二軍でも登板無しに終わり、シーズンオフに支配下登録を外され、育成選手として契約を結んだ。
2007年は二軍で7試合と少ない登板数ながらも防御率1.29の成績を残したが、同年10月4日に戦力外通告を受け自由契約となる。現役続行を希望して11月7日に行われた12球団合同トライアウトに参加したが、オファーはなく現役引退。
引退後
[編集]2008年は加圧トレーニング指導の資格を取得し、加古川市のトレーニングジムでトレーナーとして働いていた[2]。
2016年4月、独立リーグBASEBALL FIRST LEAGUEに所属する姫路GoToWORLDのコーチに就任し[3]、チームが休止となるまで1シーズン務めた。
現在は、プロ野球時代の知識を活かし、ゴルファーの飛距離アップトレーニングを自ら開発し、トルクボディトレーナーとして活躍している。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 13 (2004年 - 2006年)
- 113 (2007年)
- 5 (2016年)
脚注
[編集]- ^ ハム希望の柴田、ショックで両親が突然帰宅 - ウェイバックマシン(2003年11月25日アーカイブ分) - 日刊スポーツ(2003年11月20日)
- ^ 第二の人生はトレーナー 元オリックスの柴田さん - ウェイバックマシン(2008年4月13日アーカイブ分) - 神戸新聞(2008年4月12日)
- ^ 新コーチ・トレーナーのお知らせ - 姫路GoToWORLD(2016年4月8日)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)