柴田四子吉
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柴田 四子吉(しばた ししきち、1852年 - 没年不明、幼名:吉次郎)は、日本の大工。
来歴
[編集]京都出身とされる。1878年(明治11年)のパリ万国博覧会に日本館建築のために渡航。その後京都府土木課営繕掛に勤務した[1]。
1887年(明治20年)よリ内匠寮技手、翌年六等技手となる。
1889年(明治22年)の芝離宮西洋館を、足立鳩吉の下で担当した[2]。
1894年(明治27年)に完成した帝国奈良博物館の工事を担当した[3]。
造家学会の準会員であった[4]。
著書・論文
[編集]- 『匠工必携』建築書院、1906年
- 「地形ノ説」『建築雑誌』第3巻26号、1889年2月、pp.17-19
脚注
[編集]- ^ 青井哲人「江戸への距離(『建築雑誌』アーカイブス【第16回】)」『建築雑誌』第1504号、日本建築学会、2003年4月、108-109頁、ISSN 00038555、NAID 110006347110。 (要購読契約)
- ^ 柳澤宏江, 溝口正人「605 明治期公刊建築技術書に記載された洋風建築の意匠にみる設計手法について その1(歴史・意匠)」『東海支部研究報告集』第43号、日本建築学会、2005年2月、725-728頁、ISSN 13438360、NAID 110007023377。 (要購読契約)
- ^ 永野光一, 水野信太郎「わが国における旧帝国博物館の成立過程」『北海道女子大学短期大学部研究紀要』第36巻、北翔大学、1999年、93-104頁、ISSN 0289-0518、NAID 110006603999。 該当記述はp.98
- ^ 三島雅博『明治期の万国博覧会日本館に関する研究』 神戸大学〈博士 (工学) 甲第1221号〉、1993年。doi:10.11501/3092500。hdl:20.500.14094/D1001221。NAID 500000099687 。(該当内容はp.67に付された脚注41(p.75)に、博士論文(稲葉信子(1990))の底本 1989年発表からの引用として記述されている。)
参考文献
[編集]- 中谷礼仁「洋式適用規矩術:明治期における在来建築技術の変容、その一例証として」『建築史学』第31巻、建築史学会、1998年、38-82頁、doi:10.24574/jsahj.31.0_38。
- 麓和善, 鈴木光雄, 河田克博, 内藤昌「CADによる日本伝統建築の軒反り曲線設計法」『日本建築学会計画系論文集』第61巻第490号、1996年、155-162頁、doi:10.3130/aija.61.155_2。
- 稲葉信子『木子清敬と明治20年代の日本建築学に関する研究』 東京工業大学〈工学博士 乙第2042号〉、1990年。doi:10.11501/11439222。NAID 500000069689 。