柴田信一
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柴田 信一 | |
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生誕 |
1890年9月25日 日本 和歌山県 |
死没 | 1963年2月19日(72歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年 - 1942年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
柴田 信一(しばた のぶかず[1]、1890年(明治23年)9月25日[2] - 1963年(昭和38年)2月19日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[1]。
経歴
[編集]1890年(明治23年)に和歌山県で生まれた[2]。陸軍士官学校第24期、陸軍大学校第33期卒業[2]。ドイツ駐在を経て[1]、1934年(昭和9年)8月に浜松陸軍飛行学校幹事に就任し[1]、1935年(昭和10年)7月18日に飛行第5連隊長に転じ[1]、8月1日に陸軍航空兵大佐に進級した[1]。1937年(昭和12年)7月に飛行第1大隊長を経て[1]、1938年(昭和13年)4月15日に航空局航務課長に就任した[1]。
同年7月15日に陸軍少将進級と同時に陸軍航空本部附となり[1][2]、航空局参与に就任した[2]。12月10日に浜松陸軍飛行学校幹事に転じ[2]、1940年(昭和15年)7月16日に航空局技術部航務課長を経て[2]、12月2日に鉾田陸軍飛行学校長に着任[2]。1941年(昭和16年)8月に陸軍中将に進級し[1]、1942年(昭和17年)12月1日に待命[2]、12月28日に予備役に編入された[2]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。