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柴本重理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

柴本 重理(しばもと しげみち、1909年11月24日 - 1992年6月21日)は、日本の経営者ブリヂストンタイヤ社長を務めた。長野県下高井郡延徳村(現・中野市)出身[1]

経歴

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旧制神奈川県立横浜第二中学を経て、1933年東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し[2]1933年内国貯金銀行に入行、1939年ブリヂストンタイヤに入社[1]1947年12月に取締役に就任し、1949年に常務、1958年に専務を経て、1963年3月に副社長に就任し、1973年5月に社長に昇格[1]1981年3月に会長、1982年3月に取締役相談役を経て、1983年3月から相談役を務めた[1]

1971年4月に藍綬褒章を受章し、1980年4月に勲二等旭日重光章を受章した[1]

1992年6月21日心不全のために死去[3]。82歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d e 人事興信所 1991, し70頁.
  2. ^ 長野県人名鑑 p.270
  3. ^ 1992年 6月22日 日本経済新聞 朝刊 p35

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第36版 上』人事興信所、1991年。 
  • 信濃毎日新聞社 編『長野県人名鑑』
先代
石橋幹一郎
ブリヂストンタイヤ社長
1973年 - 1981年
次代
服部邦雄