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柳驥秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

柳 驥秀(リュ・ギス、朝鮮語: 류기수1902年[1]または1906年9月5日[2] - 1986年3月29日[3][4])は、日本統治時代の朝鮮教員大韓民国政治家。第2代韓国国会議員[1]

孫の柳基洪朝鮮語版も国会議員[5]ユ・ギス(漢字同、유기수)という表記も見られる[2][6]

経歴

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京畿道龍仁郡龍仁面出身[2]京城師範学校卒。解放前は初等学校で教員をしていたこともある[3]薬大後援会理事、農本社理事を歴任し、1950年の第2代総選挙では龍仁郡選挙区より無所属で立候補し当選した[1]朝鮮戦争時に貫鉄洞に身を隠していたところ、撤収中の北朝鮮側の関係者に見つかり拉致された[5]。1956年7月から在北平和統一促進協議会の会員などを務めた後[7]、1959年3月に咸鏡北道に追放された。1986年に老衰により80歳で死去したとされる[3]

脚注

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  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年8月29日閲覧。
  2. ^ a b c 546.유기수 - 6·25전쟁납북인사가족협의회”. www.kwafu.org. 2023年8月29日閲覧。
  3. ^ a b c 62기 중 안재홍 이광수 김효석 조헌영...등 좌우 인사 39명 묘소 최초 공개”. web.archive.org (2007年10月6日). 2007年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月28日閲覧。
  4. ^ 정치 : 인터넷한겨레”. legacy.www.hani.co.kr. 2023年8月29日閲覧。
  5. ^ a b 임지연 (2021年2月8日). “유기홍 국회 교육위원장, 6.25 화랑무공훈장 전도 수여” (朝鮮語). m.dhnews.co.kr. 2023年8月29日閲覧。
  6. ^ 태영호 의원, “北에 전시 납북 국회의원의 행적 진상규명, 유해 송환 요구해야”” (朝鮮語). 열린정책뉴스 주식회사. 2023年8月29日閲覧。
  7. ^ 霞関会 編『現代朝鮮人名辞典 1962年版』世界ジャーナル社、1962年8月1日、352頁。NDLJP:2973328/236