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柳生繁雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

柳生 繁雄(やぎゅう しげお、1897年明治30年)12月7日[1] - 没年不明)は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。江原道知事、咸鏡南道知事。

経歴

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柳生繁一の長男として愛知県に生まれ、1900年(明治33年)家督を相続する[2]1922年(大正11年)東京帝国大学法学部政治科を卒業し翌年、高等試験に合格した[2]。同年、朝鮮総督府に出仕し、平安南道属、平壌専売支局長、全羅南道警察部長などを経て、1940年(昭和15年)10月、京畿道内務部長に就任する[2]。その後、府事務官総督官房会計課長を経て、1941年(昭和16年)11月、江原道知事に任じた[2]。のち咸鏡南道知事となった[3]。1945年(昭和20年)退官した[4]

脚注

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参考文献

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