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柳沢寺 (群馬県榛東村)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柳沢寺
本堂
本堂
所在地 群馬県北群馬郡榛東村山子田2535
位置 北緯36度26分32.4秒 東経138度58分22.4秒 / 北緯36.442333度 東経138.972889度 / 36.442333; 138.972889座標: 北緯36度26分32.4秒 東経138度58分22.4秒 / 北緯36.442333度 東経138.972889度 / 36.442333; 138.972889
山号 船尾山
宗派 天台宗
本尊 千手観音
創建年 弘仁年間(810年 - 824年
開山 伝教大師最澄
開基 群馬太夫満行
中興年 江戸時代初期
中興 慈眼大師天海安藤重長
文化財 柳沢寺縁起二巻(榛東村指定文化財)
公式サイト 柳沢寺|北群馬郡 天台宗寺院 永代供養 榛東村
法人番号 3070005005621 ウィキデータを編集
柳沢寺の位置(群馬県内)
柳沢寺
柳沢寺
柳沢寺 (群馬県)
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柳沢寺(りゅうたくじ)は、群馬県北群馬郡榛東村にある天台宗寺院

歴史

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弘仁年間(810年 - 824年)、群馬太夫満行の開基である。伝教大師最澄が東国巡錫のおり、当地の群馬太夫満行が最澄を招聘して寺を創建した[1][2]

中世には、延暦寺の末寺として多くの僧侶を輩出した。しかし、戦国時代の兵火で、当寺は全焼してしまい、寺運衰微を余儀なくされた[1]

江戸時代初期、慈眼大師天海高崎藩藩主安藤重長によって中興された[1]

相満伝説

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当寺には、次のような伝説が伝わっている[1][2]

当寺の本尊千手観音であり、「子授け観音」と呼ばれていた。後継者不在で悩んでいた千葉常将は、この観音に祈願し、念願通り男子を授かることができた。この男子は「相満」と名付けられ、当寺で養育された。

相満は当寺で成長したが、ある日、天狗によって天狗攫い神隠しの一種)に遭い、姿を消してしまった。常将は、当寺が相満を隠していると誤解し、軍勢を差し向けて焼き討ちしてしまった。

後に天狗の仕業であることが判明し、常将は無実の寺を焼き払ったことに自責の念を感じ、自害してしまった。常将の妻は、夫の菩提を弔うために当寺を再建し、その後、夫の後を追って自害したという。

文化財

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  • 柳沢寺縁起二巻(榛東村指定文化財)[3]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ a b c d 柳沢寺の起源柳沢寺
  2. ^ a b 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年、189p
  3. ^ 榛東村の文化財-1-榛東村

参考文献

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  • 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年

外部リンク

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